« 2009年6月 | トップページ | 2009年8月 »

2009年7月

心の旅

私は、「統合失調症」「神経衰弱」になって、20年ぐらい経ちましたか。振り返ってみると、色々な出来事、人々との出会いがあったなあと思います。

なにより一番感謝なのは、一番安全なところ、イエス・キリストに出会い、教会に招かれ、導かれたということがつくづく感謝だなと思うわけです。

「統合失調症」「神経衰弱」を発病し、退院後、友人がよく私の家にお見舞いに来てもらいましたが、一番親しかった友人は、その当時の私の顔つきがショックで帰り道、泣いて帰ったと聞きました。

お見舞いのお客の中には、バリバリの新興宗教の友人も居ました。

その当時は勧誘されることなくすみましたが、大分、月日も経ち、元プロミューシシャンの女性のボーカル(昔、彼女のファンでした)を紹介されて仲良くなりました。

本人の人間性を否定するような事はありませんでしたが、その宗教の代表者の美術館に黙って連れて行かれたり、私がキリスト教に求道し、教会に行っていたのに、「キリスト教がダメならうちにおいで」などの発言もありました。

私の印象としては、その宗教は代表者の話しが大好きか、大嫌いかで分かれる代表者のファンクラブ程度のものという印象でした。

実際、選挙の時、署名してもらいたい時しか電話は来る事が無かったし、何より私は、その代表者が大嫌いでした。

それに真理はもうイエス様の中にしかない、聖書に根拠を求め、答えもいただいていた私は、その新興宗教に入らなくて、良かったなあと思っています。

何より母も「あんたがその宗教に入ったら家を出てもらう」と言うぐらいで、教会には車で送迎してもらっているので理解があって感謝です。

この世には色んな宗教がありますが、異端の中にいて、心が騒いだり、不安になったりすることは、むしろ自然な事で、これは私が何より救いを頂いているからだと思います。

今、私を導いて神さまと繋がっている安心出来る教会に行けることは、何と幸いなことと思いつつ毎日を精一杯、祈りながら、進んで(お仕事では、秋をめどに)行けたらと思ってます。

もし、何か宗教を求めていらっしゃる方々には、キリスト教にも色々あるけれど、異端の中に無理に居るとおかしくなるので、お気をつけ下さい。

宗教の自由は、法で個人に自由が与えられているのですから、是非、安全で楽にしてくれて、学んで、恵まれる・・・・・・(書ききれない(^^;;; そういう所に行ってください。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 病気ブログ ストレス性疾患へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

本から(2回目アップ)

言ったかもしれないが、「きけわだつみのこえ」を読みながら、千綿偉功さんの「ありがとう~知覧よりの手紙~」を聴くと10倍泣けます。だって、この人たちのお陰で、今の平和が保たれているわけです。

:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

「きけわだつみのこえ」は、第二次世界大戦の最中に書かれたもののようです。

いわゆる、「遺書」ですね。(感想では)「(前略)それでも本書のいかなる頁にも、追いつめられた若い魂が、---自然死ではもちろんなく、自殺でもない死、他殺死を自ら求めるように、またこれを「散華」と思う(戦争を美化する)ように、訓練され、教育された若い魂が、若い生命のある人間として、また夢多かるべき青年として、また十分な理性を育てられた学徒として、不合理を合理として認め、いやなことをすきなことと思い、不自然を自然と考えねばならぬように強いられ、縛りつけられ、追い込まれた時に、発した叫び声が聞かれるのである。(中略)

(感想の最後に・・・・・・)死んだ人々は、還ってこない以上。

生き残った人々は、何が判ればいい?

死んだ人々には、なげく術もない以上、

生き残った人々は、誰のこと、何を、なげいたらいい?

死んだ人々は、もはや黙ってはいられぬ以上、

生き残った人々は沈黙を守るべきなのか?」(1949・8・31)

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

戦争の問題は、聖書の中では、どう捉えていいのか?今の私には正直分からない。旧約聖書では、神さまの争いと言う事が沢山出てくる。

ただ、自分が他人事に思えないし、それ以上に、今、こうして書かずにいられないのは、それが動機。

私は、神さまが私の創造主によって自分を造られたと思っている。でも、それは、私が選んだ事ではない。自分がこの世に生まれようとして、生を受けたわけでもない。

神さまの選びで、この家庭に生を受け育った。

幸いに「キリスト教」に対しては、両親は大変理解がある。教会への送り迎えも、(自転車ではとても行けないので)両親は「自分達が出来ない事を、教会の人がやってくれている」と思って送り迎えもしてもらっています。

他の、S教や怪しい宗教、(新興宗教など)を「お前が、そういう宗教を信じたら、追い出すからね!!!」と、母は言う。

私も、不思議に思ってますね。

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

子供の時から、神さまを何となく存在を考えていた。

小5の時に、インコのひなを2匹飼っていました。インコのひなと言うのは、とにかく、隅っこが好きで、その時は、窓の枠の端に2匹もぐり込んでいた。

そして、悲劇だったのは、母親が帰ってきて「何でこんな暑いのに、何でまた閉めてるの!」と怒って、窓を思いっきり開いてしまった。

インコが鼻血を出して、『即死』だった。2匹の可愛いインコ。もちろん、爆泣きした。。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

ちょうど、母親の友達が来ていて慰めてくれたけれど、涙は止まらなくてダメでした。

ある日、「ごめんなさい!」と言う気持ちが一人の時に、心の底からこみ上げて来たんです。それで、小5の私が何かに対して「うわぁーーー!ごめんなさい!!!」と空に向かって懺悔していた。

そうしたら、一言「赦す」と男性の声が聞こえたのです。

その時点で、ピタッと泣くのを止めた。そういう子供だった。変な子供だったな。子供らしくない。

よーく、考えると小さい頃から、何だか、やはり変わっている人だと思います。

でも、大人になって、今の教会に導かれて、本当に良かったと思ってます。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

求道中の方とか、求めていらっしゃる方々は、希望を捨てなければ、必ず、イエス様の存在を知ったら、いきなり別人とはいきませんが、考え方が変わってきます。

私も、ほとんどの事を笑い飛ばしています。あんな・・・・・・私が・・・・・・。

だから、「イエス様にすがっていけば、大丈夫」とだけは言えます。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

夢一穂さま(幼なじみのKちゃんへ)

皆さんは、「夢一穂」という詩人を知っておられるだろうか。彼女は、以前、神学生になるまでの熱心なクリスチャンでした。

でも、私が分からない所で、2度目の統合失調症を発病し、「2度目の発病は、キツイから気をつけてね」と電話で言ってくれていた。

:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

Kちゃんは、幼なじみだった。私は小6の時にこっちに引っ越しをしてきて、Kちゃんとは同じクラスだが特別仲がが良かった訳でもなく、私は私で他の友達のグループにいた。

中学に入って、Kちゃんと同じ軟式テニスのクラブ活動に入った。

Kちゃんは、その頃から、小説を書いていて、みんなで回し読みをしたのを覚えている。

小説家を目指して頑張っていた。(好きな人も居たよね♪先輩で小説に登場していたけれど(^^;

でも、やはり中学でも、同じ仲間というよりは、同じクラブ仲間で終わってしまった。

高校生になってからは、バラバラになったけれど、あんまり彼女との記憶がない。

.。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。.

そして、ビックリしたのが、現教会ではなく、私が教会を探していて、色んな教会に行っていた時で、母教会での特別伝道集会で、(ちょっとメッセージは内容がよく分からなかったが)終わりに私に伝道師が個人伝道をしてくださって、「救いの決心」は出来た。

そして、「○○(私の本名)さんは、『救いの決心をしました』」とアナウンスされ、母はその宣教師(講師)と議論していて、私には、そっと後ろから「あの・・・・・・○○さんって、もしかしたら、私と同じクラブに入っていた○○さん?」と聞かれ、顔を見たら、もう、こっちはビックリで・・・・・・。!!(゚ロ゚屮)屮

それからは、Kちゃんべったりで教会生活が、始まったけれど。ここの教会で、昔の仲間と会えるなんて想像もしていなかった。

Kちゃんは、その時、神学生になっていた。母教会のどのイベントにも顔を必ず出すと言う熱心さがあった。

後々に聞いたのですが、Kちゃんは祈っていたらしい「市内で、私が主を伝えられる知り合いが居たら与えて下さい」と。

そして、私はその祈りの実だった。

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

彼女は、今、恐らく全く教会には行っていないようだ。

でも、教会を離れても詩を通しての忙しいながら作った彼女の詩は結構良い詩が多い。

是非、Kちゃんのペンネーム「夢一穂」の作品を読んでみてください。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

母教会では、Kちゃんの本を、ある姉妹に託して私が「自由に貸してあげて」と母教会の姉妹に頼んだ。

kちゃんは、統合失調症には本当に苦しんだらしい。本も読めない。TVも見れない。何にも出来ないと。。。

kちゃんは、今、どこの教会にも行ってなくて、お父様が社長をやっている会社の事務員で頑張って働いています。すこぶる、元気。(^-^)

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

Kちゃんは、2度目に発症した時は、家族が全てKちゃんをバックアップした。

遠くで、働いていたお兄さん(?だったと思います)も「Kがそんな状態になっている」と聞いてわざわざ、東京へ来てくれたそうだ。

Kちゃんは、そのような事を教えてくれて「今、私凄く平安なの」と言っていた。

本当に熱心で真面目だったから、反対の事が起きた時に、もしかしたらその熱心が「あだ」になったかなあ~と思った。

私なんて、前は牧師にも「あんまり、知らない分野の事を説教で勉強もロクにしてないのに語るのはどうかと思う」とバシッと言ってしまう人なので。。。

。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚

Kちゃんは、今、とってもお元気だと思われます。詩もかなり書いていると思います。「夢一穂」で検索かけたら、出てくるかも。

今まで、出版社から「夢一穂さんの詩はうちのニーズに合っているので」と本が2冊出ている。

今は、入手可能かは分かりませんが、良い詩の集まりですよ。(*^-^)

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

「夢一穂」さん、CBTの牧師婦人が「何て素晴らしい詩なの!」と仰られていました。

でも、また、教会で会いたいな。Kちゃんは、結婚したかな?

にほんブログ村 病気ブログ ストレス性疾患へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

| | コメント (56)

異端・カルト問題

今週の日曜は、教会で「異端・カルト予防セミナー」を開いた。いや~現教会の牧師は、大変、勉強をなされていらっしゃる。(^^;

本当は、牧師は「宗教の役割」から語りたかったそうですが、それだと、話が果てしなく終わらないので、「キリスト教と異端との違い」に焦点を合わせたとの事でした。

まず、一つ、「自分のキリスト教会での聖書はちゃんとしたものか」(口語訳・新改訳・新共同訳)この3つの聖書以外の聖書はダメ。

二つ目、「その教会十字架があるか(外も中も)無いとダメ」

三つ目、「カトリックもプロテスタントも、イエス・キリストをどう捉えているか」(十字架の救いの御わざを語っているか)

と言うのが、まず、あるようです。

:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

「異端」とは何か。異端を意味するギリシャ語は「ハイレシス」は、聖書では「一派」(使徒24:5)や「分派」(ガラテヤ5:20)などとも訳されている。しかし、キリスト教会で古来より、用いられている「異端」という言葉は、御子イエスが救い主であることさえも否定するような逸脱した聖書解釈や教理を主張したり、聖書の教えを曲げて理解するものを指します。(Ⅱペテロ2:1参照)

キリスト教の異端は、キリスト教の正統的な教義から完全に逸脱した教えをもつ擬似キリスト教のグループです。そして、正統的な教義から逸脱した教えのゆえに、考えや行動が硬直化して様々な問題行動を引き起こす場合があります。

元々、「聖書」はバランスが良いものなのに、人間が片寄った解釈をしてしまう。

では、「カルト」とは何か。

異端とカルトは重なり合う部分はありますが、必ずしも同じものを指しているのではありません。カルトはキリスト教だけでなくあらゆる宗教や(宗教ではない)集団がカルト(カルト化する)危険があります。カルトはラテン語のcultusを語源とし、カリスマ的指導者を中心とする比較的小規模で、熱狂的な信奉者を置くために、マインドコントロールの手段が使われる事が知られています。(テロなんかも、原理主義的な行動です)

。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚

教会やクリスチャンと言っても、「それは・・・」と言うものがあります。

①「エホバの証人」(ものみの塔聖書冊子協会) 1870年、アメリカのペンシルバニア州で始まった聖書研究グループ。創始者はチャールズ・T・ラッセルで、彼はキリスト教会で語られる福音を理解することができず、教会を離れて独りで聖書を研究し、独自の教理を説くようになって聖書研究グループを設立。今日、輸血拒否問題などで社会問題になった。

特徴<教理>

・地獄はない(「滅び」とは無になること)・救いとは滅びずに地上の楽園に入ること。・努力によって救われる。・キリストの神性の否定・エホバの証人の組織を通じて、聖書を理解しなければ救いはない。

<問題点>

・聖書の書き換え。独自の聖書の翻訳「新世界訳」においてキリストの神性を否定するための書き換えが行われている。・自らを預言者だと語る。彼らは自分たちに神が新しい啓示が与えられたと主張する。しかし、現在は彼らの語ったすべての預言がはずれ、彼らが偽預言者であることは明白です。・マインドコントロール。組織は信者の行動、思い、感情を支配し、あらゆることについて勝手なことを許さない。また、組織を通さない出版物を読むことを禁じたり、聖書を一人で読むことも禁じている。

エホバの証人は、一見非常にまじめそうで、聖書からそのまま語るように見えるが、聖書が語る救いについて、最も重要な部分をすべて否定しています。すなわち、罪のさばきの場所である地獄の存在を否定し、キリストの神性を否定するがゆえに、キリストの十字架による救いの完全性を否定し、キリストを信じるだけで救われると言う信仰義認を否定している。

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

②モルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)

1830年、アメリカのニューヨーク州で始まったグループ。創始者はジョセフ・スミス。彼は神からの新しい啓示を受けたとして、「モルモン書(旧名モルモン経典)を出版し、モルモン教会を発足させた。

<教理>

・神はかつて私たちと同じ人間であった者が昇栄して神となった者で、私たち人間と同じように骨と肉を持っている。・普遍的な救い。キリストが十字架にかかられたので、キリストを信じていなくても救われる(たとえ地獄に行っても償いをすれば出てこられる)。・個人の救い。モルモン教徒であり、あkつ、モルモン教の戒めをすべて守る者は神になれる。(彼らの究極の目標)そして、神になったものは妻を持ち、子を産み、天の星のように無数の子孫を得ることができる。・「聖書」と「モルモン書」、「教義と聖約」、「高価なる真珠」が神のことばである。(ただし、聖書は部分的に書き換えられていると主張。)

<問題点>

・「モルモン書」の誕生。この書物はジョゼフ・スミスがモロナイという名の神から金版を授かり、彼が特別な石を使って翻訳したことになっている。11人がその時の証人として「モルモン書」の冒頭に名を連ねるが、11中8人までがモルモン教を脱退。残った3人はジョセフ・スミスの父親と2人の兄弟です。・「モルモン書」の内容。モルモン書ではアメリカ人をユダヤ人の子孫だと主張するが、その起源も、言葉の使用法も、使用していた道具についても、その時にいた動物についても、歴史上の事実と食い違うことが多く、そこに書かれた町々の存在については考古学上の証拠が何一つ発見されていない。・現在の「モルモン書」は改訂版。一般の書物ならば資料が増えたり、新事実の発見により改訂版が出されるのはめずらしくないが、絶対に間違いのない神のことばであるならば、軽々しい改訂は到底考えられない。しかし、モルモン書の原版と現在の改訂版には3990箇所以上もの変更がある。(「教義と聖約」は65000箇所以上を変更)・ジョセフ・スミスの預言の変更。ジョセフ・スミスの記した「教義と聖約」に中に現在、否定されている教理がある。また、彼の考えでは黒人は呪われたものであり、白人は祝福されたものである。しかし、現在のモルモン教の預言者とされているスペンサー・W・キンボールは社会的な圧力により、黒人に対する偏見も改めるようにと教えています。これは明かな矛盾です。その影響で、モルモン書の一部も書き換えられている。・ジョセフ・スミスの人物像。彼の教理には異様さが目につく。一夫多妻主義を主張する不道徳さ(現在は主張しなくなった)、大統領候補者と自称する奇異さなどから社会問題に発展し、暴動を引き起こし、彼自身投獄され、1844年6月27日に暴徒によって射殺される。享年38歳。

モルモン教会は、結果的に、基督教会と似ても似つかない考えに到達している。その神概念も、道徳も、死後観も、救いの意味も全く違っている。しかし、一般の教会が使っている言葉、神、救いの意味も全く違っている。しかし、一見すると同じように見えたりするので注意が必要です。(普通の人は見分けがつかない)

...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。

③統一教会(世界基督教統一神霊協会)

統一協会(正式名は世界基督教統一神霊協会)は、霊感商法や合同結婚式で有名。統一協会の教祖は文鮮明(本名 文龍名)という1920年生まれの朝鮮人です。彼が16才の時、キリストから「二千年前の使命が全うされていない。罪の中で悩み苦しむ人類を救って欲しい」との啓示を受けたとされている。そして、1945年金百文という人の弟子となり、メシア(救い主)との性行によって救われるとの教えを信じて実行しました。1948年社会秩序侵害罪(婦女暴行・姦通罪)で北朝鮮政府に2度逮捕され、5年10ヶ月の実刑を受ける。1954年5月に韓国のソウルで統一協会を組織し、1957年に「原理講論」を発行。

<教理>

・聖書の創世記には、神がアダムとエバを想像されたこと、そして食べることを禁じられていた善悪の知識の木の実を彼らが食べて神に対して罪を犯したことが記されています。統一協会はそれを独自に解釈し、エバと悪魔が霊的に姦通してエバは霊的に堕落し、エバとアダムが性交することによってアダムが肉体的に堕落したと教える。神は救い主キリストを遣わし、十字架にかかられたことによって人類は霊的な堕落からは救われた。しかし、イエス・キリストは肉体的な堕落からの救いを行わなかった。肉体の堕落は罪のない再臨したキリスト(文鮮明)に委ねられた。すなわち肉体的な堕落は文鮮明との性交によって与えられ、その結果、罪のない子供が生まれてくるというのが中心的な教理です。合同結婚式もこの考えによる儀式です。

<問題点>

・マインドコントロール。最初は市民講座、教養講座、カルチャーセンターなど、統一協会とは全く関係のない名前を偽り、サークル活動のように原理講義を聞かせる。次の段階に進むと3~40日にも及ぶものまで様々な合宿研修会を行い、ハードスケジュールの中で思考能力を麻痺させ、原理講論を聞かせ、文鮮明が再臨したキリストであることを叩き込んで洗脳する。・経済活動。洗脳された人間に経済活動と称してあらゆる方法を使って金を集めさせる。先祖のたたりや姓名判断を根拠に高額な壺や印鑑を売りつける霊感商法、街頭で行っているアンケートや偽募金、戸別に訪問し歌って踊りながらの珍味販売など様々です。文鮮明の一言で全統一協会員が経済活動に駆り出される。しかも、どれほど人を騙して金を集めたとしても罪の意識がない。如何なる手段を選ぼうが、文鮮明のものを悪魔の側(非統一協会員)から奪い返すのだから良いことだと教えるからである。又、朝鮮をアダム、日本をエバと説明し、アダムを堕落させたエバは、アダムに仕えてしかるべきと教え、日本からの搾取を当然とする。・偽キリスト教。教理を見ても明らかですが、基督教という名を付けているが、その実体は全くのデタラメです。「聖書は消え行く教科書」として聖書を軽んじ、文鮮明はキリストを自称する偽キリストです。実際にしていることは洗脳、姦淫、盗みで、聖書が罪と定めていることを奨励している。・社会復帰の難しさ。統一協会の最大の問題点は信者の脱会と社会復帰の難しさです。ある意味で真面目に情熱を注いで身も心も捧げて活動してきたからこそ、洗脳を解いて統一協会の誤りを認めさせるには困難が伴います。又、そのためには家族による連れ去り(取り戻し)、軟禁状態に置くことが不可欠ですが、逆に刑事事件として訴えられるなど難しい状況にあります。たとえ統一協会の間違いに気づかせることに成功し、脱会に至っても空虚感や挫折感、罪悪感、特に文鮮明に対する恐怖心が残り、復帰を困難にしています。

:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

最後にカルト化を防ぐために。

このような、カルト、異端、マインドコントロール問題は、元々は普通のクリスチャンと同じ動機で弱い自分から求めていた人々のだと思います。彼らは「真面目で真剣」に求めていたのです。しかし、だから、「サタン」の働きによって、騙されているのです。(チェック↓)

①聖書から外れていないかどうかを見極めよう。②伝統的な教えから外れてないか。③反社会的な行動をとなっていないか。(反するものはおかしい)④実で見分けるよう。(マタイ7:16~20、ガラテヤ5:22~23)⑤みこころにかなっているか。(マタイ7:21~23、ローマ12:1~2)

※長くなりましたが、大事な事だったので、昨日、牧師のレジュメを基本とし、文を起こしました。相談などは、私では無理なので、ちゃんとした正統的教えのキリスト教会の牧師先生にお尋ね下さい。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

やっぱ教会は楽しい♪

最近、心の底から笑ってないなあ~・・・・・・。と言う方!↓のURLをどうぞ!

http://www.dfnt.net/t.html

:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

一週間で、一番楽しい曜日は、やはり何と言っても日曜日♪神さまを賛美し、礼拝し、糧を頂く。キリスト教では、それは、基本中の基本の生活になると思います。

さて、母教会では、どうも、青年会が皆さん楽しくないようで・・・・・・と言うことが、ふと、耳に入った。

青年総会というのが以前の教会ではあり、今年も開いたそうです。

でも、一番の責任者の兄弟が小学生の夏のイベントで疲れて青年会を出ないと言っていたそうで、私がよくつるむ姉妹が怒っていた。

私は、彼女にこうゆうメールを出した。

.。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。.

「姉妹の『青年会』に対する情熱は分かるけれど、それを「~ねばならない」って相手に強要するような事は避けた方が良いよ。

私正直、母教会の先生方は、皆さん(って言っていいと思います)「~ねばならない」って語ってる。

それって、すごーく疲れるんだよね。

私は、教会は、恵まれるため、そしてイエス様と出会い、一週間の糧を頂くのであり。

また、イエス様を信じる者同士が憩い合う場でもあるし。

それが、「~ねばならない」だとホント疲れるよ。

だから、私は身体に出てきたから逃げたよ。

結果は、凄く良かったけれど。

母教会では、神さまに聴く姿勢というより

『人間クリスチャンとして、この世で、立派でありなさい』って、

じゃないとクリスチャン失格みたいな、雰囲気はあったよ。

(中略)

青年会にしろ、何にしろ、一人一人にクリスチャン的人間の良さを

求められすぎてる気がしますね。それも、「~ねばならない」でしょう。

私はキツイなあ・・・・・・。」

私も彼女に言ったんだけれど、「青年会」の「総務」とか「交わり」とかじゃなくて、(それで、一度青年会は潰れてます)「青年会」じゃなくて、ただの「交わり会」にして、「一週間、どうだった?どうゆう事に恵まれた?」とかの紅茶でも、コーヒーでも飲みながら、語り合うだけでも良いと私は思うよと。

ただ、「・・・・・・恵まれてないです」しか言えなかったら、悲しいけれどね。( ̄Д ̄;;

でも、私より、若いのにちゃんと社会生活をしている姉妹兄弟たちだから、困難も大きくて私より神さまへの求めも強いはずだし、祈るだろうし、イエス様にすがらなければ出来ない事も起きてくると思う。そう言う事を素直に正直に話せるような「会」にしちゃえば良いのになあ~と思ってます。

゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

最近大好きな曲。千綿偉功さんの「ありがとう~知覧よりの手紙~」

千綿さんが、訪れた戦争の特攻隊の跡地を見て生まれた曲。

『祈り』と比べると面白いけれど、『ありがとう~』は、メッセージ色がほとんどない。

千綿さんは、「戦争」を「否定」も「肯定」もしていない。正直、(失礼だけれど)「あらー、成長したわー」と思った。

でも、その特攻隊の戦地で散っていった命、魂に触れて書かれた曲であると思う。

素朴な詩に、アコースティックな綺麗なアレンジで、その千綿さんが感じた事を脚色せず見事に特攻隊の若くして死ななければならなかった人たちの心情を描いている。

最後の方でのフレーズが悲しいよね。

「笑顔でいくしか(特攻隊へ)ないんです・・・・・・ありがとう、さよなら」

これを、本の「きけわだつみのこえ」を読みながら聴くと10倍泣けて聴けます。(p_q*)

千綿さんのワンマン、品川チャペル(教会ってところが良いよね♪)へ行きまーす。(*^-^)

にほんブログ村 音楽ブログ ミュージシャンへ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

マザーテレサ

私はプロテスタントだが、マザーテレサは昔から大好きだった。ある日、TVで取り上げられていたマザーの特集から。

『苦しみの中にあるとき 戦争、病気、貧困 この世のいたるところで 人から笑顔を奪っていく』

『若き日に、貧しい人と生きることを誓い、歩み続けた一人の修道女がいる』

『苦しみから立ち上がる力を無くした人々。人間として生を受けながら 誰からもかえりみられず ただ死を待つだけの人』

『彼らの 声にならない声に 耳をかたむけてきた人  マザーテレサ』

:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

(マザーテレサ)

神は 静けさの中で 私たちの心に 話しかけられます

神に選ばれた者は その声に目覚めます

言葉では説明できません しかし悟るのです

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

(マザーテレサ)

人は皆 愛し 愛されるために 生まれてきます

宗教や人種 主義主張は 関係ありません

人はすべて- おとなも子どもも神の子です

神の姿に 似せて つくられたもの

それが 人間です

。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚

(マザーテレサ)

最も貧しい人々に 仕えるのが 我々の仕事です

神の愛は無限で 慈悲とあわれみに あふれています

神の愛は 我々を通じて 世界に広がります

人に触れ 人に与える行いの中に-

愛が 通い合います

神のわざの表れです

...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。

(マザーテレサ)

子どもは 神がつかわされた 美しい命です

家族への 最高の贈り物です

私たちは病院に頼んでいます

”中絶する患者が来たら-

子どもは 私たちが育てるから 産ませてください”と

里親さがしで 中絶と闘っています

私たちの精一杯の愛情も 両親にはかないません

とても無理です

:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

(マザーテレサ)

愛することを知らずに“神”や“愛”を語る人がいますが

“愛”は行動を伴わねばなりません

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

では、続きは管理人のやる気次第ということで。(^-^;

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

涙の作用(2つ目アップ)

涙は流すととっても良いと言う。

Dr.が私が失恋した時のアドバイスで「泣きなさい。結婚まで、考えていたのだから、付き合っていた時間の倍かかるけれど、涙が記憶を洗い流すんだよ。泣きなさい」と言っていて、その通りに1年間泣いて今では、「ああ、あんな人いたな」としか思っていない。

病気になって、初めは色んな事が重なって、自分で処理出来なくなって神経衰弱と統合失調症になった。

私は病気に表情を奪われ。

毎日、生きる事の最低限の力さえ奪われて。

涙すら出なかった。

夢を目指してプロミュージシャンに憧れていた頃は、めちゃくちゃ良いLIVEで嬉し泣きも少なくなかった。

確かに、音楽は温かいものをくれていた。

でも、イエス様によって、救われた今は、イエス様のみ愛に感動して、聖霊が働くから、自然に涙がポロポロと出る。o(;△;)o

腹の底からこみ上げてくるものが教会にはある。

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

今日から必要を感じると共に、木村 藍さん著「うつからの贈りもの 傷つきやすいあなたへ」から文章を紹介したいと思う。

「かなしみの部屋へようこそ」

うつの流した涙が 

心の中に小さな部屋をつくりました。

かなしみの部屋にようこそ。

おもいっきり泣いてください。

おもいっきり叫んでください。

怒りも、恨みも、憎しみも、愚痴も、

すべて吐き出してください。

わたしのもっているかなしみが、

そっとあなたを包むでしょう。

心ゆくまで泣いてください。

あなた自身にもどってください。

そして、もうこれ以上泣けないと思うほど泣いたころ、

あなたの心の中にも小さなかなしみの部屋ができていて、

だれかを待っているでしょう。(以上)

...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。

ここの「ブログ村」に来て、何日しか経ってないけれど、ここで、「モラルハラスメント」と言う言葉に出逢った。

私は、ある教会で夫のDV、変態、発言などで苦しんで泣いている女性を最低10人は知っている。

スモールグループと言うところだったが、彼女達は毎日泣いている。

その中にも「何で殴るの!私を何で殴っていいの!」と泣いていた彼女は、恐らく、「モラルハラスメント」も相当受けたんじゃないかと推測する。

(ごめんなさい。私は未婚で、妻とか母親の気持ちが分からない人です。でも、世の中の主婦の皆さんは基本的に「偉い!」と尊敬しています)

いわゆる「パワー・ハラスメント」とは違うのでしょうか・・・・・・。

図書館で、今日、「モラル・ハラスメント」の本を3冊予約した。

少しは、「モラ・ハラ」で苦しんでいる人たちを理解したいと思ったのです。

きれい事じゃなくて。

ネットでは、情報交換ぐらいしか出来ないけれど、何故か、どんなにお辛いかを理解したい。私が見てきた最低10人の毎日泣いている女性達のためにも。

にほんブログ村 病気ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

大切なこと

これは、私にとって、非常に大切な事と思われた「自己も他者もコントロールしようとする誘惑」という題名で、日本聖書神学校講師・豊島岡教会牧師 高橋克樹師の論文を書きます。

人間には自分の無力さに対する根強い恐怖心があります。牧師やカウンセラー、何らかの相談業務といった援助職に就いている人も例外ではありません。自分の時間と力を注ぎ込んだケアが徒労に終わったり、その努力が報われないと無力感に襲われて自分自身を喪失したかのような感覚にさらされます。ときに怒りの感情に翻弄されることも、援助職に携わった者なら何らかのかたちで経験していることです。

 なぜ人は無力さにおびえるのか。それは自分が主体であり、他者や世界は自分が働きかける客体であるという揺るぎなき世界観があるからです。被援助者を救済する客体だと理解しているかぎり、その援助やケアは成果主義に陥りがちになります。それは最善の選択をさせてあげたいという熱意によって強化され、結果として援助者が期待するような成果や結果を「強要」する思いに取りつかれるようになります。

 10年ほど前、このことで私には苦い経験があります。依存症という病を持つ男性教会員と6年間毎日関わる生活をしたときのことです。最後は急性腎不全で41歳の生涯を閉じたのですが、その彼とは毎朝会う生活を続けました。生活保護の申請に私も助力をし、役所と本人の了解を得て生活費を預かり毎日分割して手渡していました。その際に前日の生活の様子を聞き、その日の予定を確認し、生活一般へのアドバイスをします。若い時に不法薬物に手を染めていたことと金銭管理ができないので、父親は1日700円というぎりぎりの生活費を仕送りし、それで生活をしていました。父親が癌で死亡したのちは生活に窮したので、生活保護を受けました。ただ1日3000円ほどは渡せるはずなのですが、消費者金融から隠れて借金をして100万円の返済をすることになったり、渡したお金を紛失したり、習慣性のある一本800円の咳止めドリンクを何本も飲んで食費にさえ窮したりして、その後始末に私はしばしば奔走しました。礼拝には比較的まじめに出席していたので、教会員との関わりは維持されていて、何度かの危機的状況にも教会全体で忍耐強く関わることができました。

 最初の2年間ほどは、どうにかして彼の生活を建て直そうと精神障碍のディケア施設も幾度か一緒に行ってみました。彼の担当医である著名な精神科医からはお叱りの手紙をいただきました。牧師が治療に介入していると感じたのでしょう。「彼は怠けているだけだ。私の指示通りにして下さい」という文面でした。その先生も治療の結果が出ないことに苛立ち、別の医師を紹介してきて彼との関係を切りました。私も次から次へと解決しなければならない問題が生じてくることに徒労感を覚えていたので、その医師の気持ちは了解できました。

 ところが、そのことが逆に援助する者と援助される者という彼との関係性をもう一度見直すきっかけを与えてくれたのです。そこでわかったことは、意志はあっても病ゆえに「できない」という無力感に打ちのめされ続けて、荒涼とした心象風景を持つ彼に、私が恐れを感じているという事実でした。治る見通しが立たないことにも苛立っていました。私は彼の可能性をすでに信じない人間になっていたのです。

 援助する者がいくら親身になっても、苦難の人の身代わりにはなれません。にもかかわらず、私は何の苦労もなく「できる」側にいて、「できる」「できない」という価値基準で彼のことを判断していたのです。相手を信じないのにケアをしていた私は、結局は自分の無力さを認めることを恐れていたのでした。これは牧師としてはとても辛い自分自身への問いでした。ただ、不思議なことに、この気づきがあってから肩の力を抜いて関わるようになりました。

 「援助者の危険としての力」という副題はG・クレイグの邦訳『心理療法の光と影』の原題から借用したものです。その内容はケアに潜む「力の行使」という誘惑についてです。人を助けたいという援助者の心の奥底には、同時に全く正反対の思いがあることを自覚しておく必要があるという指摘です。人のために助力したいという心情は愛の発露だけではない。相手を支配したり力を奪いたいという隠れた喜びや欲望があるというのです。特に道徳的な正しさというマントを着ているとき、人は「良い」と信じていることを無慈悲な手段で行うことに罪意識すら感じることがないという指摘は、彼のことで嫌気がさしていた私への問いかけとなりました。人間には「力への渇望」が無意識のうちにもあります。牧師をはじめとして援助職にある人間も、ケアというかたちで自分の力を行使し、成果を上げることで自分の存在を確認しているところがあることに注意したいものです。以上のことは、他者に対するコントロールの誘惑の問題です。

 さて、援助職に関わるもう一つの誘惑は、自分に対するコントロールの誘惑です。最近感情労働ということが言われるようになりました。自分の感情を加工して、相手の期待に添うような感情を自分の中に作り出す労働のことです。特に牧師は信徒の方が好印象を感じるように、その場にふさわしい感情を無意識に演出するところがあります。悲しい話を聴いているときに、悲しい感情反応をすることは当たり前ですが、その際に「このように感じるべきだ」という感情管理をして、実際に感じている自分とのズレを補正して隠蔽するところが援助職に従事している者にはどこかあります。
 

 たとえば、優しい牧師に見えるようになるためには、外面だけでなく感情をそれに合わせて演出するようになります。感情が伴わなければ自分自身を偽ることになるからです。だから、ますます自分の感情を自己演出するなかで、最終的には「偽りの自己」を作ることになります。この感情労働の積み重ねがやがて燃え尽き症候群なる状態を招くのではないでしょうか。もちろん、どのような仕事にもある程度の感情労働はあります。しかし、信徒や被援助者の方に対して援助者が印象操作をしている部分があることに気づいていることは、援助をしていく上で大切な自覚だと思います。自己と他者に対するコントロールの誘惑は援助者にとって常に問われている課題だと思います。以上(C・C・CのHPより)

。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚

私は思いっきり、この文章に関して思い当たる事が多いです。自分がいくら、精神的な病を勉強したからと言って、「この人を何とかしてあげよう」と思ったり、そういう時は×なんですよ。

相手の人生を自分は負えませんし、神さまはそういうようには、人間を造られていないと思います。でも、「受け入れない」で「強要」しちゃうんですよ。この文章を読んで「これは、私自身、気をつけなければ!」と思いました。

自分まで、コントロールしようとするって恐いですね。共依存でしょうか。私は援助者でも何でもないのですが、そう言う人でも、危険が多いにあると少なくとも、自分の最善が援助者の最善とは限らないとは、充分、分かります。

最善やストレスは本人が身をもって分かる事なのですよね。

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

この間のブログで私が死ぬ前に、一度、とことんまで話をしてみたいと思っているのは、「伊藤政則」さんだと言いましたが、訳があります。

元Voがよく政則さんとRockの話をしていたと言う事もあるし、「政則さんが、雑誌などで自分で好きなアーティストを選ばないで、音楽評論家の言う事を鵜呑みしたようなアーティストの選び方をする人間(ファン)は俺は大嫌いだ」とか言っていたそうです。

後、これが、決定的だったのですが、ある川崎クラブチッタでの(すみません。誰か忘れました)某バンドのLIVEをバンドのメンバーで行ったのですが、私はどーしても、バンドの問題が大きくてLIVEが始まる前まで、メンバーに私の考えを説得してました。

その時の、様子をクラブチッタのドアからずーっと見ていたのが「伊藤政則」さんでした。恐らく本人は覚えていらっしゃらないでしょう。

それが、決定的だったかな。でも、まあ、外タレHMはもういいので、OUTRAGEを是非サポートして下さい。

私も、OUTRAGEのLIVEの日、晴れる事を祈ります。私行かなくて良かったかも。私は「雨女」なのです。(^^;;;

LIVEの成功を祝える事を祈ります。

にほんブログ村 病気ブログ ストレス性疾患へ
にほんブログ村

にほんブログ村 音楽ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

コブクロ

今、のりにのっている「コブクロ」初めて聴いた時、「コブクロ」って何だろう?と分からんかったが、友人が「黒田と小渕」だからでしょう?と言われ気づく。(こうゆうのは、鈍いんだよ)

予告通り、「コブクロ LIVE TOUR ’06 “Way Back to Tomorrow” FINAL」の「小渕&黒田」による面白副音声を一部だけ、(本当は全部紹介したいけれど)ここで、再現したいと思ってます。(うおーのおっさんの話なんて最高だったな)

では。

黒「小中高と話をしてきましたが・・・・・・僕は小2、小3ぐらいからの記憶しかないんですよ。もったいないなと思うんですよ。幼稚園とかの時に覚えてないだけで、僕もちっちゃい時の僕の記憶って小2かな・・・小1か分からないですけど。何か、カマキリの卵を取ってきてね家で飼ってた事しか覚えてないんですよ。でも、昨日取ってきて今日ふ化する訳じゃないじゃいですか。それと、家にめっちゃデカイ水槽があったわけですよ。1m40cmぐらいの縦1m横40cmで」

小「それは、デカイですね」

黒「昔ね、その水槽でめっちゃくちゃデカイ、鯉を飼ってたんですよ」

小「鯉?」

黒「鯉やと思ってたら、この間聞いたら夜店で買ってきた金魚らしい。`;:゙;`;・(゚ε゚ )ブッ!! マジでねー水槽がデカなると、いくらでもデカくなる」

小「水槽の大きさで変わるんや」

黒「でも、反対向けないぐらい。ほんまや」

小「アーッ、ハッハッハ!」(笑

黒「ずーっと同じ方向」

小「はいはいはい」

黒「それが死んでから、そこへ、カマキリの卵とかバッタとか飼ってたんです。でも、逃げるから、そこへやったのがお風呂の蓋。それで飼ってたんですが。カマキリの卵を冬場取ってきたやつが卯かするのに2ヶ月かどれぐらいの期間がかかったかは覚えてないんですけれど。それを、もう、子どもの頃だから忘れてるじゃないですか。取ってきてから。そのままにしていて。それで、晩ご飯かなんか食べて唐揚げ美味しいとか思ってた時かなあ~天上見たらちっちゃいカマキリが十匹ぐらい列になって天井から縦に」(笑)

小「千羽鶴のようになってんのや」

(二人とも爆笑)

小「千羽カマキリが」

黒「俺友達誰も入院してへんのに」

小「カマキリ折られへん。折り紙で」

黒「そこで、確実に俺しか居ないから。周りの食卓についてる家族を見てたら『やばい』『やばい』カマの卵が卯かしやがって」(爆)

黒「そこから、いつも以上にしゃべるの。俺の話に集中させようと。あいつらアホやから、ボラボラしゃべってて。これ以上、目立ったらアカン。(笑)思うてたらよー、キャプテン翼とか始まったらよー。見て、風呂入って寝るやん。んで、『あー小学校行かなきゃアカン』と思ってパッと見たらよー枕の下でよー潰れて死んでんねん。」

(二人とも「ヤバイー!」(爆)

黒「すっかり卯かするの忘れててよー早くこれ外に逃がさなきゃアカンと、ぶわーっと水槽の所に行ったらよ1匹も居てない」

小「あーヤバイー!」(爆)

黒「お風呂の蓋ってよーそんな、密閉は全くない」

小「全く無いな」

黒「あそこから卯かしたカマの卵よーメチャクチャちっちゃい。俺の家がよー『虫かご』のようになってよ」

小「(爆笑)」

小「もう遅いな」

黒「もう、遅い。(笑)学校から帰ってきて、さー遊びに行こうと思ったら『しゅーーん!!!』」

小「ホンマのカマキリが」(笑)

黒「大カマキリが」

小「(爆笑)」

黒「うちの腹黒カマキリが」

小「(笑)腹黒カマキリ言うな」(爆)「自分のおかんの事」

黒「『ちょっとおいでーーー!!!』俺ももう、カマキリの事しかないよとバレたーーー!もう、家の中うじゃうじゃいてんでもう『あんたしかおらんやろーーー!!!』」

小「カマキリが」(笑)

黒「そんなん、しょっちゅうや俺。半ズボンの中にバッタ入れて帰ったり」

小「アハハ(笑)」

黒「洗濯の時怒られんねん『しゅーーーん!!!なんやこのバッターーー!!!』」

小「バッタ入れるなよ」(笑)

黒「それで、バッタバッタとおかんに倒されて」

小「ああ、でも、今の要らんな。今の俺嫌い」

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

何だか兄ちゃんが言っていた大阪人は生活に娯楽があるのだと言う説を思いっきり思い出しました。

コブクロファンの皆さんは、DVDでは、必ずあの二人の副音声は笑えるよ。以上。

にほんブログ村 音楽ブログ ミュージシャンへ
にほんブログ村

| | コメント (0)

雨だね   (本日2本目)

われわれの病気は、決して悪いもんじゃないって思う。責任問題じゃないから。

自責しなくていい。

大きいか小さいかは分からない個人差があるけれど、病気の波が来たら「ああ、今私は薬を飲んでいても病気さんには身体を休めた方がいいと言ってるんだ」と思うと楽になりません?

そんな、何も、出来ない自分を、神さまはもちろん、私たちが何より自分を許してあげなきゃいけない。

そうやって、長年病気さんと付き合って、Dr.や処方箋と一緒に病気さんと仲良く付き合う方法を考えられたら、幸せになれませんか?あなたは、人の痛まないところで、痛みを感じると言う素晴らしい感性の持ち主なんですよ。

私も波には、抵抗しがちで、無理しがちで愚かです。でも、最近、獅子が子どもを谷底にわざと落とすような精神状態を訓練してくれる方々が居ます。(母曰く(^-^;

ジョブコーチと話し合って、そのストレスの自分にかかる負荷を把握するため、この間は、ジョブコーチがいつになく男性っぽい社会の厳しさを象徴するような、発言や態度に正直「ちょっと失礼じゃない?」とか思ったんですが、その次の日のブログを見てジョブコーチが「良かったです」と「それが目的でした」と。(@Д@;

わざと、そういう態度を取っていた事を私が身をもって知るために、「種明かしをするようで、悪いけれど、ああゆう大事な事を分からせるために、アプローチの仕方もあるんですよ」と・・・・・・。

「うおー深い」としか言葉が出ず。ジョブコーチ役者になれますよ。(冗談(^-^;

そんな、素敵な人たちが、こっちに頑張る気があれば、協力してくださると。(勘違いしていたらメール下さい)

決して私の努力でもないし、いつの間にか、女性のジョブコーチが一人増えましたが、神さまが「主の山に備えあり」で、やってくれているとしか思えません。

また、病気が発症しないためには、まず自分をよーく知る事が大切なのでしょう。

どうゆうところで、負荷がかかるか、嫌だと思ったか、何がストレッサーだったか。

ジョブコーチ「何があの時、嫌だなと感じた?」と。

私は正直に「書類をバサっと置いた時とか・・・・・・」「眠ってるんだか、人の話を聞いているんだか・・・・・・」と。

「それが、ストレスだよ」と。

凄い鍛え方があるんだなあ~~~。育てるって大変なのに。本当にお疲れ様です。(;´д`)トホホ…

診察にまで、ジョブコーチは「病気を詳しく知りたい」との事で来てくれました。

ちなみに、ジョブコーチ。調剤の女性は、「この間の人、誰なの?」( ̄ー ̄)ニヤリ だったので「私のジョブコーチですよ」と言ったのに、「恋人」と勘違いされたか・・・・・・と。

私は、ジョブコーチが既婚者かも知らないのに。それは、無いでしょう。

:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

そして、昨日は、三浦光世さんから、お返事のお葉書が。(o^-^o)

(水野源三さんの詩に私が絵をつけたものを送りました)

「お手紙拝見いたしました。どの絵も、見事ですね。何年絵を習われてたのですか。」と私の身体をいたわる、(お歳から言ったら本当は私の方が、光世さんをいたわらなければいけないのに)内容のお手紙でした。

お返事をまた、返そうとテープを作ってました。私には人ごとに思えない「戦争」や「明日がない」人達の事実。

恐らく青春時期に私がその「何で、自分はこんなに悪く心が醜いのに生きなければいけないのか?」=(当時の私には明日が無かった)「明日がない」と思いっきりすさまじく神さまに問うて、ぶつけていた経験からも大きいと思います。

だから、「人間の命の」尊厳」に関わる事には、ものすごい興味があります。

まあ、逆に言うとクリスチャンの視点から「では、明日を生きるためには、どうすればいいか?」に変わったのです。

より良い今を出来るだけ生きて、祈って、神さまにたまには文句を言って。(何故、あの父が苦しんで、私が苦しまないの?とか)

精一杯、毎日を生きる。そう言う姿勢を与えられたのは、神さまであって、聖日礼拝が楽しみでしょうがないのは、神さまの御心だからでしょうね。

来週は、ランチがあり、残って牧師が「カルト・マインドコントロール問題について」お話をするそうなので、調子が良かったら残って聴いて帰りたいです。

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

父が・・・・・・とても、心配です。でも、これも、最善だからと信じて、生きて欲しい。まだ、父のこの世での役割はあるはず。

光世先生にも、父のお祈りを頼んでいます。

にほんブログ村 病気ブログ ストレス性疾患へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

「芸術は爆発だ!」 最高のエンターテイメントショー

昨日、ただ券で「ボリショイサーカス」を男友達と見に行った。もう、最高!o(*^▽^*)o

約2時間だったけれど、久しぶりに心の底から大笑い。(*^ー゚)bグッジョブ!!

ジョークもピエロも、万国共通と思わせれるセンスの良さ。

動物もよく、働いて。笑わせていた。「すげー!」と何回も言ったな。

また、動物のみんなが、可愛くて可愛くて。(*^-^)

これが、まさに、世界レベルのエンターテイメントショーだと、まざまざと思わせられた。

私は元々、「アート志向」な人間なので、美しい者大好きで、(別にレズっ気はないけれど美女が大好き)半裸の美女が純白の衣装を着て、空中で、綱一本で美しく舞う。

フィギアスケートでよくやっている、フィニッシュにもっていく前のスピンみたい。(私はフィギアスケート大好き人間です)

ものすごく、綺麗!

内容は、去年、同じ男友達と行った時より、更に、グレードアップしていた。

去年も、ただ券で見に行ったけれど、今年は、動物の出番が少なくて、(DEF LEPPARDの名曲「ANIMAL」を思い出すが)人間の出番が多かった。

ダンサーが、かなり、去年よりは居て、皆さん、自分の身体の見せ方を充分に知っている。

アピールポイントも随分、工夫されていた。

ステージ替えをする時には、必ず、おじさんのピエロが登場し、場をつなぐ。それも、大変面白かった♪♪♪

まあ、でも夏休みということで、親子で子供っちも多かった。

全体的にも、充分に楽しめて、笑って、「もう、1時間?」って感じで、休憩が入り、後の1時間もあっという間だった。

男友達も「楽しかった。お母さんに『有り難うって言っておいて』」と言ってくれた。

久しぶりに見る男友達も、大分、ストレス太りから痩せて、元気そうだった。

しかし、凄いよなあ~~~。あそこまで行くと。やっぱ、プロ根性って凄いなと。

。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚

ミュージシャンでも、自分の曲を愛して、ここが「この曲の聞きどころ!」と体現するのは、ステージ上では、私は非常に難しかったけれど、それが出来ないとプロでは難しいだろうなあ。

「LIVE」バンドがとっても羨ましかったのを覚えています。

私は元、パワーメタルやってましたが、一番、死ぬ前にとことん話をしてみたい人は正直言うと「伊藤政則」さんです。別に特別視とかじゃなく・・・・・・。語り合ってみたい。「酒井康」さんは「ちょっと・・・・・・」なんですが。すみません。

午後は、「コブクロ」の面白話でも、アップしようかな・・・・・・。(長くなるけれど)

。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚

父は今、母と病院に行っています。祈るしかないな・・・・・・。

にほんブログ村 音楽ブログへ
にほんブログ村

| | コメント (0)

祈れない・・・・・・ 2回目アップ

皆さん、祈れないぐらい辛い時、どうしてますでしょうか?私は、今、具合をここ2、3日思いっきり悪くしている父を見るのが耐えられなくて自分の部屋で祈っています。

本当はクリスチャンの姉妹から「じゃあ、あなたが、どんなにお父様を心配しているかを知ってもらえるためにも、お父様の前でお祈りしてみたら?」と言われて、ずーっと頭にその言葉が残ってます。

それで、何とか、父親の前で相手が嫌がろうが祈るべきなのか。

イエス様が「奥で祈りなさい」と言うように、部屋で祈るべきなのか。

:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

母親が以前、鼻血が止まらなくて救急車を呼んだときは、すぐさま、お祈りが内側から自然に出てきたのに・・・・・・。

何故、父の前では出来ないのか。。。これも、辛いですね。

「うー」「うー」唸っている父の前では、何故か、祈れない。

どーしても、祈る事が出来なくて、でも、父が可哀想すぎて、何で、こうなったの!?と神さまにぶつけたくなる。

でも、最善をなさる神さまだから、この父の酷さも充分お分かりなのでしょう。

「祈りの花束」から、一つ、病気に苦しむ人に祈るものを探そうかな。(ρ_;)

牧師にも、相談しなくては・・・・・・。

祈りも即効性があるって保証もないし、今日、聴かれるかも知れないし、何ヶ月後かもしれない。神さまの時があるから。

先走りやすい私は、つい、結果が欲しくなるが、忍耐と祈りの積み重ねですかね。

「可哀想」本当に可哀想です。私も自律神経失調症があった時には、死ぬ思いをしましたが、やはり、どこも悪くないと言う事は、うーん「サタン」か。

でも、私は「サタン」の力より「イエス様」の力を信じたい。

神さまは、決して無駄な事は何一つされない方だし。

少なくとも私はそうだった。マイナスだった経験が、十字架にイエス様とはり付けられ、処理されている。

キリスト教を信じたからと言って、病気が治るわけはないけれど、「福音」は慎重にしないと、煙たがれるだけ。

やはり、部屋で一人で祈るべきか・・・・・・。

神さまに「答え」を貰おう。(。>0<。)

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

たまーには、音楽の話しも・・・

「音楽の話し」になると、かなり、マニアックなブログとなります。ついていけない人は、ごめんなさい。ペコリ。_| ̄|○

私は、中学でラジオで音楽の情報(今で言うJ-POP?)を聴きまくっていたので、ラジオで音楽は育てられたようなものです。その当時は、中森明菜、松田聖子などが流行っていた(今でも売れてるけれど)時期で、よく、誰より早く中森明菜の新曲を覚えてやるーなんて、挑戦していました。(^・^)

それから、中学で、洋楽に目覚め全米TOP100少女に。湯川さんがパーソナリティーです。素晴らしく、カッコいい音楽が上位をしめていました。

中学では、仲間とプリンスを観に行ったことがあります。(プリンスマニアは、半端じゃなかった)「パープルレイン」が聴きたかったと友達と言い合っていたら、曲が始まったらパラパラと雨が降ってきた、友人と抱き合って会場で嬉泣きをした。まさに「パープルレイン」。

私は、その後、もっと刺激が欲しくなり、HR/HMの世界へ。

ツバキハウスで、(HR/HMしかかけないディスコ)メタルに目覚め、(ちょうど、メタリカが「マスタ~」を出して超盛り上がっていた頃)メタリカがかかると、「BATTERY」でヘッドバンギングの黒い波を見て「私はメタルになる!」と決心し、(それまでは、「私は鎖なんてつけてないから」とか変にカミングアウトが出来なかった)短髪にロングスカートでツバキハウスでは、ほとんど浮いていましたが。(笑)

高校2年で、エレキギターを始める。でも、凄く悪い事してたなー。彼氏達とバンドはやっていたのだけれど、彼氏の友達のギターを借りていてエディー・バンヘイレンのギターみたいに、テープがギターのボディーに貼ってあったのだけれど、それが、どーしても気になって全部、彼氏の友達が頑張って貼ったテープをはがしてしまった。悪な奴だった。(別にエディーが嫌いなわけじゃないよ、むしろ、好きなほうでした)

メチャクチャバイトしたな。高校時代は。親は一切、お金をくれなかったから、自分の稼いだ貯金で、16万円ぐらいの黒のギブソンレスポールを買う。そして、いつの間にか、出来た友人同士でバンド結成。「RUNNING FREE」と私がバンド名をつけた。もちろん、IRON MAIDENの「RUNNING FREE」からです。

高校3年間で、200回以上はアマ・プロのLIVEに、いつもの友人とROCK-MAY-KAN(鹿鳴館)通い。

「OUTRAGE」と言うバンドは、私はとっても思いいれのあるバンドですが、(すみませんです。丹下さん。でも、ブログ読んで良かったと心から思いました。それで、ハングリーに頑張ってください!)初めて彼らのLIVEを観たのが確かpitとか言う会場でANTHEMの前座だった。「Black Clouds」で、アコースティックギターを使うスラッシュメタルバンドもあるんだ!と(よくそこら辺は知らなかった)衝撃。すぐ、友人とファンになる。

後は、もう、ミーハーなんで色んなアマバンドを観てました。「WOLF」「TERRA ROSA」「CHRYST」「PRECIOUS」「FAST DRAW」後、忘れたバンド名の方々のLIVEを観に行ってました。

メジャーなところでは、「LOUDNESS」「ANTHEM」とか。

洋楽でHM/HRだったら、思いいれがあるのはボーカルのカル・スワンとか。いわゆる「NWOBHM」で、バンドの方向性が決まる。

:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

自分が、バンドを活動し始めたのが19歳。先生方の大切な将来のアドバイスにも耳を貸さず、バンド活動に邁進。オリジナルも作っていたな。

3回目のLIVEで、最前列に居たメタル兄ちゃんたちが凄く盛り上げてくれて、何とライブハウスの皆から「アンコール!」の嵐が来た。私は、壁に向かって「うおーーー!」と手を振り上げた。客と一体となった嬉しさは当時の私には今でも大事すぎて他人に上手く気持ちを伝えることが出来ない。観ていた友人は「もう、RUNNING FREEの世界だったよ!また、来るから!」とか色々嬉しいことを言われた。

当時の、5曲は、私がクリスチャンになってからのゴスペルバンドの(スタジオ持ってる)N兄に頼んでCD-R1枚1000円でCDにしてある。

ココログで披露出来ないかと、試みるが容量が大きすぎてダメなようである。

ざむねん。_| ̄|○

ちなみに、メンバーは皆女性。個性のかたまり。(^・^) 私のギターの師匠は、故RORY GALLAGHERさんと、UFO時代のMICHAEL SCHENKERさんです。彼らの「NO HEAVY PETTING」をLPで買った時、裏ジャケットがUFOのメンバーがチューブで遊んでいるんだけれど、一人だけ、それを後ろで見ていて笑っているMICHELがいて、何だか可哀想になってしまった。バンドの中で、1人だけドイツ人って言う言葉の壁もあったのだろうけれどね。ちなみに、UFOや色んなギタリストのコピーやってましたが、UFOのコピーして私にしか分からない譜面(^^;;; は4冊ぐらいある。

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

教会でも、私と対等にROCKの話しが出来る兄弟も居た。その兄弟とは「私はROD STEWARTとRON WOODが大好きで『FACES』とか好きです」と言うと「うーん。僕は『SMALL FACES』の方が好きなんですよ」とか話してましたが、その兄弟の奥様は全くROCKの話しは出来ません。自分でも「何でこんなに趣味も志向も違うのに結婚するって不思議」と仰ってました。結局は、音楽などの趣味志向って言うのは、恋愛や結婚などの男女の深い関わりとは条件の一つにはなるけれど、信仰者にとっては、やはり究極は『信仰』が問われることなのでしょう。

その奥様、大変綺麗な方でしたが、結婚式後の礼拝にて前に出て祈ってました。私は、そのお隣に居て彼女を見ていたらこみ上げてくるものがあって、「どうして、前に出たの?」と後々に聞いたら彼女は「結婚式で、神さまを知らない人が沢山居てとっても可哀想で祈ったの。結婚式の時には、泣かなかったのよ」と仰っていた。

今日は、ちょっとミュージシャン時代を振り返ってみました。ちなみに、「RUNNING FREE」は、ライブハウスの方からは「女性スラッシュバンド」と呼ばれていました。(^^;;; BOOGIEもやっていたのにな。(^^;;; 

でも、音楽が無かったら、HM/HRと言う音楽が無かったら今の私はありません。

今のHM界は全くと言っていいほど、分からんけれど。ARCH ENEMYの女性Voは、私はあの方は女性と思ってません。(^^;;; ギターリフも感情移入出来ません。どこが、カッコいいのかも分かりません。だから、HMに絶望しました。

OUTRAGE、そして、リーダーの丹下さん、それを見返すぐらいのアルバム作ってください!!!(^・^) 私の最後のお願いです。

にほんブログ村 音楽ブログ ミュージシャンへ
にほんブログ村

| | コメント (0)

神さま父を癒してください   (本日2本目)

私の父は、今、非常に苦しんでいる。一時は、心臓の血管の病気と言われて、カテーテル検査を受け薬で何とかなっていた。

でも、それもつかの間、今日は特に酷い。私も、そういう父を見ていられなくて、こうして何か助けを思いつかないか・・・・・・と模索中。(。>0<。)

父は、精神的には非常に強い人です。父と母の事は、もう、どんな過去があったとしても、私は「両親は両親」「私は私の選択で」と割り切って考えてるので昔よりは、楽になったが。

さすがに、あの父の何の病気か分からないような表情や、言葉のろれつが回らないとか見ていると非常に辛い。

何で、神さま、この人に???と思う。

身体の病も心の病もごっちゃになって、出てきているような感じがある。

恐らく、身体のどっかで、バランスを崩しているものがあるような私は気がしている。

。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚

私は、一時期、やはり身体のバランスを崩した。

持病の統合失調症に自律神経失調症(コレ辛かったぞ~)に、起立性低血圧が出た時はもう、辛いのなんのって!!!

私の2005年2月の文章でこんな事を書いていた。

5月6日の祈りより  彼はいたんだ葦を折ることもなく。(イザヤ42:3)

「わが主イエスよ。あなたは、私よりも私のことをご存知であられます。それは、私にとってどんなに心強いでしょう。特に病苦にうめく時、こんなに痛んでも大丈夫なのかと、恐怖に襲われることがあっても、これは主のよくよく知りたもうところなのだと思えば、決して恐怖に狂ってしまうことはありません。

あのヨブも、一時にすべての悪しき知らせを耳にしたとしたら、生きていなかったでしょう。しかし、あなたは、一度にでなく、一つずつ順次ヨブに知らせて、それも軽いものから重いものへと一つずつ堪えて行かせたまいました。

あたかも、葦を折ることなく。そのご配慮のほどがたまりません。やがて死と面と向き合う時、私の本能は青ざめて、おののくことでしょう。けれども、そんな私の弱さを主はご存知なのだから、とわきまえることこそ安心の基です。最後まで主は手を貸したまい、永遠の国へお導き入れくださることを信じます」F・B・マイヤー著 (いのちのことば社)より

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

どうぞ、この神さまが父の健康に働きかけてくださるように・・・・・・。

.。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。.

父は愛犬が死んでしまったとき、こんなにも優しい詩を書いていました。今は、コロが苦しんでいた姿と父の今の姿が重なってしまいます。早く楽にしてあげたい・・・・・・。

「コロ助の 奇蹟祈りし 散るさくら」

「ただいまに とびつくコロの 姿なし」

「死をさとり 人目をさけて 身をかくす」

「手にふれた コロのぬくもり 今はなし」

「足先で いっぷく待つ コロいなし」

「苦しみを 治してやれず コロごめん」

「べったりと コロの甘える いやしなし」

「コロ助の 元気な時を 懐かしむ」

「苦しみに 頑張る姿 見るつらさ」

「死をさとり かまわないでと 目になみだ」 (作:父)

にほんブログ村 病気ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

| | コメント (0) | トラックバック (0)

孤独ではいけない

一人では、病気は治せないとつくづく今日のクリニックでDr.とお話をしていて思った。

孤独だと、自分の限界のある頭の中で、グルグル思考してしまって、まだ文章化出来るぐらいの事が出来ればいいが、自分の言葉で考えられない人は、そのグルグル思考で悩んでしまって、マイナス思考の渦に陥ってしまう。

行き詰ってしまう。または、エネルギー切れを起こしたりもする。

そういう人は、やはり、自分に合うDr.の適切な処方とアドバイスと自分の話しを、真摯に聴いてもらえる事が大切だと思う。後、そういう時に頼りになる方法を自分で見つけることも大変大切だと思う。

:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

でも、孤独ではいけないって教会生活でも言えるんですよ。

かなり前の女性のクリスチャンのペンフレンドが言っていたけれど、牧師からふと「教会では、孤独ではいけませんよ」(=成長しない)と言うことを言われたらしい。

ちなみに、十字架の縦の木は「神さま」と「私」の関わりを表し、横木は「隣人」と「私」を表しているそうだ。

よく、縦の関わりが良くなればなるほど、(強くなればなるほど)横との関わりも良くなって(強くなる)いくと聴いた。

三浦綾子さんだって、キリスト教の事を「交わりの宗教」と言っていたし、「人からの逃避は神からの逃避」とも言っていた。(その頃は、「対人恐怖症」があったので大変耳が痛い文章でしたが(^^;;;

三浦綾子さんだって、「妖婦」(今で言う「売春婦」)と教会内では、初めのうちは言われていたらしいし、イエス様なんて「悪霊の頭」なんて言われていたのだから、私みたいな一般信徒が他の人からどう呼ばれようと、しょうがないものがあるとは思っている。

私はクリスチャンになって10年ぐらいは経ったが、元気になったのは、薬のおかげもあるけれど、他に特別、自分で努力したとか、そういう記憶は全くない。

でも、人からは、よくここ一年ぐらいお褒めの言葉を頂いているが、私が本当は言いたいのは「全て神さまのおかげ」と。

言えるようになりたい。o(*^▽^*)o

BGM♪「ROCK’N Soul pt:1 Great Hits」 Hall&Oats

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 病気ブログ ストレス性疾患へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

ごめんなさい!(T^T) 本日2回目アップ

ココログのコメントの使い方が、よく分かっていなくて、私のミスで、過去のコメントが全て削除してしまいました。ごめんなさい!これから、気をつけます。

でも、自分でも驚いてます。たった、始めて4日で、こんなに皆さんに見てもらうようになるとは思ってなくて。それに、大変、嬉しい私に対しての文章を誉めてくださったりで。o(*^▽^*)o

今までは、主に、お友達のクリスチャンの人が見ていたと思うのですが、こんなに反応が大きいとは思いませんでした。

なるべく、クリスチャンじゃない方でも、分かるような文章を書きたいと思っています。

「愛」って言葉を使わず「愛」が語れるような文章が書けるようになるのが私の目標です。

「神さま」も本当はあんまり使いたくなくて、それでも、「神さま」を私の文章から感じ取ってもらえる・・・・・・そのような文章を書きたいです。

:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

今までは、処女作でしたが、「メイとたんぽぽ」と言う小説を書きました。

本当は、あんまり、キリスト教色が強くならないように、気をつけていたのですが、どーしても力量がないため、大変、難しい感じで書いていました。

一応、形にはなったものの、小説としてどうか?と問われると、仲間内では比較的良い評価をされてましたが、自分では納得出来るかは難しいです。

でも、ふと、新聞を見ていて「アンデルセン」の絵本の応募があって、8000字までだったので「メイとたんぽぽ」は、ギリギリ8000字以内だったので出しました。

しばらくして、ハガキで「アンデルセン」さんから「あなたの作品は、選考の対象になっています」と言う丁寧な通知が来ました。

まあ、私は、処女作でしたので、選考の対象(ちゃんと小説として評価される)になっただけでも満足でした。

大賞は、コペンハーゲン(アンデルセンにちなんで)へのペアの飛行機の往復チケットと賞金が確か30万円ぐらいだったと思います。

後、他に優秀賞が3点で、10万円で、大賞と優秀賞はちゃんと、プロのイラスト入りで本になります。

また、お話が降ってきたら私も書きたいですね。

あんまり、著者の言いたいことを登場するものに語らせないで、(説明せず)悟らせるような文章が良いです。

三浦綾子さんなんかは、その点、上手い人だったなあ~~~。だって、まだ、三浦綾子さんが生きておられる頃、読売新聞が好きな作家10位の中で、堂々、女性一人、それもクリスチャンで7位に入ってました。

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

後、私は今でも愛読していますが、庄司薫さんの作品が大好きです。6年も20代で引きこもりをしていたので、ずーっと、本を読んでました。

(三浦綾子さんも、もちろんですが)庄司薫さんの作品は、未だに、大好きで、「馬鹿ばかしさのまっただ中で犬死しないための方法序説」なんて、今でも、共感してしまいます。

ここの中で、書かれている、何かに思いっきりぶつかったら、逃げて逃げて逃げまくって、でも、まだ、自分に残されている問題だったら、自分で何とかしなければならない大切な問題だと書いてあったと記憶してます。

過去、まさしく「馬鹿ばかしさのまっただ中で犬死した者」としては、最高の教訓ともなっています。

でも、庄司薫さんが、ピアニストの中村紘子さんと結婚されたと知った時、ショックでした。Σ( ̄ロ ̄lll) (笑)

(庄司薫さんは、私が生まれる前の年に「赤頭巾ちゃん気をつけて」で芥川賞受賞してます)

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

| | コメント (2)

色んなサイトを見てました

花火大会は、難病を患っている奥さんを家から出すのも考えているから、「お前、Rと家に居られるか?」(笑)と言っていたので私は「いえいえ!とんでもないっ!ダメです!」と言う運びになりました。

兄ちゃんは「男を簡単に信頼しちゃダメだぞぉ~~~。男である私が言うのだから確かだ」と言っていた。

私は、もう、この歳では「結婚」を意識した「恋愛」しか出来ないし、私自身の条件は(偉そうでごめんなさい)「私と同じぐらいイエス様を愛しているか、私以上にイエス様を愛している男性クリスチャン」と決めて祈っているのですよ。それに、親にも祝福された「結婚」でありたいしね。容姿は全く気にしない人だしね。(^^;;;

:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

さて、昨日は、ずーっと(私は目が弱いですが)ブログ村の「ストレス疾患」のサイトに目を通していました。(私も参加しています)

そこには、私より、キツイ身体の状態にあっても、何とか、生きたいと言う方々の苦労を読んで感じて「あー、どんなにかお辛いだろう・・・・・・」と泣いている自分が居ました。

応援したくなります。(o^-^o) 「いちご」さん、コメント有り難う。o(*^▽^*)o また、遊びに来てね。(^・^)

薬が合わなくて、副作用ばかり出ると言う人もいらっしゃると思いますし、それも、辛いですよ。私も、何ヶ月もかけて薬に慣れるようになったり、良い薬だけれど、副作用で歩けなくなったりもしました。それは、もう、Dr.の腕なので、十五年近く信頼しているので、今は、薬が合っていてようやく、今は職を探すため、ハローワークへ定期的に通っていたりします。

こうゆう、ストレス疾患を患っている方々を、私は、決して非難や否定しません。だって、悪いことをして、なったのなら非難されても分かるけれど、その時は、最善だと思って尽くして尽くした結果で身体が悲鳴を上げて、その人の限界をストップするために病気で知らせてくれたと思っています。

私は、その救いを神さまに求めましたが、人様々なので、人間はいつどうなるかは分からないですよね。生きているだけでも、精一杯な人も多いだろうし。

。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚

私のキリスト教への求道は、三浦綾子ご夫妻からのハガキで始まりました。

本当に苦しんでいる方々には、私は「三浦綾子」さんの本を薦めます。私は、彼女の本は60冊以上読んでいます。

「道ありき」「塩狩峠」「母」(親を許せないのなら→)「雪のアルバム」等等、彼女も難病の問屋さんみたいな人で「神さまは私をえこひいきしている」と言っています。是非、病を患いながらも、説得力が半端でない彼女の作品を古本屋でもあると思いますので、読まれては如何でしょうか。(文字苦手な人はすみません)図書館も、利用すると良いですね。(^・^)

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

ある人が統合失調症の方々の、デイケアの事務を務めていた頃のお話をしてくださっていました。「統合失調症の方々は、人より、感性が大きい(全部ではなく、一部が)ので、素晴らしい感じ方をなされるのですよ。人と圧倒的にそういう部分が大きく違うから、ダメージも大きいけれど、また、それは、素晴らしい感性でもあるのですよ」と仰ってました。やはり、現場に居た人の言う事は説得力があるなあ~と彼女の視点も良いと思います。

人が、感じない無痛のところが、自分には痛い。私は、それは、素晴らしいと思います。そこから、学べることは沢山あるはずです。私は、神さまはミスをなさらない方だと思っていますので、そういう自分を肯定出来るようにして下さったのはやはり神さまでした。

☆*:;;;;;;:*☆*:;;;;;;:*☆*:;;;;;:*☆*:;;;;;:*

でも、世の中には、神さまを信じなくても尊敬する人は少なくないけれど居ます。(私はクリスチャンでなくても、全ての人を神さまは愛していらっしゃると思っているので)

「夜回り先生」大好きです!!!今日も、先生の講演のビデオ見ていたけれど、日本の子供たちの現状、そして、先生の接し方に泣きましたね。。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

時に、ユーモアを持って接していたり、一度も、先生は夜の街の子供たちを叱った事がないと言う。今、つくづく思うし、私もそうだけれど、昔みたいにもう、大人が大人の度量というか、子供たちに対して心の広く思いやりのある大人が少なくなっているのかもしれない。皆、生きることに汲汲でピリピリしているのかもしれない。それは、子供にモロに来るわけで。たまったもんじゃないよね。

私も正直、自殺は考えなくなったけれど、この間は、一度、狂ったように爆泣きしたよ。父親に(私は、昔、ストーカー行為されていたので今でも変な電話が来るから)ナンバーディスプレイの電話を買ってくれと頼んだの。そうしたら、父親が「ほっておけばいいだろう」と=私に対して「無関心」(これは、子供には一番キツイ態度だと思う)な態度をとられた。そういう、態度は私はもう、クリスチャンとはいえ「良い子」を止めて楽になったので、悪い感情は義憤も悲しさも我慢すると後々大変なので、的確な態度で「う”わ”あ”---------!!!」と近所に聞えるぐらいな声で泣きました。(^^;;;

そうしたら、父親はやっと「分かった。買うから」と言いましたが、自分の子供が少なくとも普通じゃない病気持ちだと分かったと思います。病持ちの皆さん「良い子」を無理に演じていたりしませんか?それは、辛いから態度で「NO!」とか「そう言われたらこんなに辛い」とかハッキリ言うのも自分を守るための大切な言葉として使っていいと思います。

ウチも人様の家庭の事を言えない二十年がありました。母も精神病院に入院したり、父も母を理解していないと思います。それは、悲しいけれど、(今は、おさまっているから)我が家の「タブー」なんです。その話しになると、両親は喧嘩してしまうので。

少なくとも、私は、「タブー」のない、精神的にも良い家庭を作りたいと夢を見ています。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 病気ブログ ストレス性疾患へ
にほんブログ村

| | コメント (1)

諦めない限り(本日2回目アップ)

自殺未遂で、こんな細い手首に9針の大きな傷を負った過去のある私。

統合失調症で、40日間、何故か開放だったけれど過呼吸で入院した私。

「音楽は人を裏切らない」と信じて人を人として扱わなかった私。

宗教を信じる人を否定していた私。

最終的には、音楽にも人にも挫折して、病気になり、ずーっと6年間引きこもっていた私。

:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

当時の詩「緑色の小さい虫がいた 指の上でつぶそうと思ったら ピンッと逃げた その手ごたえに 私はこの虫ほど 生きようという気が ないと思った」'96.7.31

こんなにも、生きる力を病気で根こそぎ奪われたのは、さすがに辛かったよ。

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

今の私は病気を肯定している。オープンな人間に憧れる。そりゃ、そうなるには二十年ぐらいかかったかな。

でも、お辛い中に居る方々、辛いけれど諦めないで。自分を責めないで。いつか、きっと楽になるから。病気とのお付き合いの仕方が、分かるまでは皆さん苦しいでしょう。

私もそうだったから。私の場合はイエス様によって、教会で受け入れられ、男性恐怖症、視線恐怖症、雑音恐怖症、人間恐怖症が治った人です。

でもね。病気は色んな事を教えてくれたよ。

...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。

この詩「病まなければ」の通りに生きて(生かされて)きました。

   病まなければ ささげ得ない祈りがある 

   病まなければ 信じ得ない奇跡がある

   病まなければ 聞き得ない御言葉がある

   病まなければ 近づき得ない聖所がある

   病まなければ 仰ぎ得ない御顔がある

   おお 病まなければ 私は 人間でさえもあり得ない 

   作:河野進

.。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。.

でも、一つ言っておきます。「病気」を嫌う教会や「来てください、癒します」と言うような発言をする教会は危険です。病気が更に悪くなる可能性が高いです。

人それぞれの導かれ方は、私には、分かりませんが、本当の「福音」に触れると変わります。

私も、色々な所を神さまは通らせられて、何人かの人に「元気になったわねー」「別人だよ。身体の動きもテキパキしてる」(←内科医に言われた)と言われるようになった。

今も、もちろん統合失調症だけれど、薬で治るので、朝から「うるさい」と家族から言われます。あんなに、朝は苦手だったのに。

皆さん、安全で楽になれるようなイエス様の導きがありますように祈ります。

にほんブログ村 病気ブログ ストレス性疾患へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

母教会であった事

行っている教会は違えど、何かイベント的なものがあると、必ず、誘ってくれる姉妹が居る。彼女のそう言う気配りは、やはり、彼女が学んでの配慮であると言える。

その彼女から「花火大会が立川であるんだけれど・・・・・・兄ちゃんの家にも寄るし・・・・・・一緒に行かない?」と言う内容だった。嬉しいのだけれど、花火があんまり好きじゃないのと、人ごみがダメな私は、お気持ちだけもらいますと言おうと思ってます。

彼女が何故、必ずと言っていいほど、そういうお誘いをダメでもしてくれるのは、彼女自身の経験から来ている。

ちょっと、母教会での青年の交わり会にて、彼女は言いだしっぺの姉妹から誘われなかったらしい。そして、凄く、気分を害したと言う。彼女は、その姉妹に「一言でも、いいのに、自分の人選で勝手に誘わないって、どんなにその人を嫌な気分にさせられるか分かる?」とハッキリと怒って言ったそうだ。

それは、私は彼女の正しい判断だし、言動だと思う。前にも、母教会での、その言いだしっぺさんで悶着あった。その時は、兄弟だった。やはり、同じく、青年の交わり会に、彼女の人選で(好き嫌いが基準)行けなかった兄弟が居た。

お昼に青年たちが集まっている時に、その行けなかった兄弟が「正直、俺を嫌っているから誘わないって、頭にきてる・・・・・・云々」との本音。私もその場に居ましたが。N兄弟が「そういう、発言はこの場ではふさわしくないのでは?」とも言っていた。

でも、K兄弟の一声で「現に、嫌な気分を味わっている兄弟が居るのだから、それは、大切な気持ちなんだから、これを機会に話し合おう」と言った。

それで、皆で、その言いだしっぺ姉妹は不在だったが、真剣に話し合っていたことは覚えている。それで、N兄弟も「こんなに、皆が、青年の事を考えている事を感じられて嬉しい」と言っていた。

教会は本音で話せる所じゃないと、福音の意味もなくなるし、第一私は「つまんねー」と思う。

まあ、人間関係はどこにでもあるが、(社会でもそうですが)せめて教会では、度を越すような事は控えた方が良さそうです。非難の対象になってしまうし、自分が非常に損を招くと言うか、可哀想だ。

せっかく、少なくとも同じ志での教会なのだから、時々、徹底して思いっきり話し合うのも、益だと思う。悪口の言い合いじゃないから。それは、とっても、良い事。o(*^▽^*)o

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

偶然、私の牧師のブログを見て「ブログ村」を知ったのだけれど、こんなに、皆、真剣に病気の事、自分の事、他人、家族、友人の事、諸々考えているのかーと非常に興味深く色んなジャンルを暇にまかせて読んでいる。(^^;;;

でも、こんな季節がら、体力を奪われる方、多いと思います。お体にお気をつけて。そして、今日も精一杯生きましょう。

。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚

最後に、のほほ~んとした話題を・・・・・・。(^・^)

        「めだかにも」

我が家では、「ひめめだか」と言うめだかを3匹飼っている。大きくならないし母が飼いだしたので、初めは私には興味のない我が家の生き物だった。

でも、しばらくすると初めは5匹いたのに1匹、2匹と死んで残ったのは現在3匹だ。飼いだした当時は興味がなかった私だが、玄関に置いてある3匹のめだかの前を通るたびに見るようになって発見したことがある。

この3匹の中で、2匹はカップルになっている。いつも2匹寄り添っている。この2匹は性格も似たもの同士で音や人に敏感で元気だ。

もう1匹はマイペースというか音にも人にも反応が鈍い。(^^;;; この1匹のために母は「可哀想だからもう3匹ぐらい買ってこようか」と言っている。

本人は孤独なのだろうか?それとも1匹が好きなのだろうか?

それと、2匹のうちメスなんでしょうね。卵がお腹の中にあるようです。母は卵を産んでくれたらよいねぇ~と言っています。めだかの学校ですよ。あの小さな水槽の中でもロマンスが・・・・・・。(^0^*オッホホ

いや~ひめめだかを飼っていて思うのですが、神さまは、こんな小さな生き物にもちゃんと性格や個性を与えられていて、凄い、御業だなあ~とつくづく思わされます。

身長2cmにも満たない生き物ですが、めだかでも恋をしたり、マイペースだったりと個性にあふれています。

ランキングに参加しています。1クリック('-'*)ヨロシク♪にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

教会にて(2回目アップ)

今日は、「聖餐式」でした。やはり、「聖餐式」は、イエス様がご自分の十字架刑の前に、どうしても弟子達に身をもってイエス様を知ると言うメッセージが籠められた、とても、神聖なものです。

実は、母教会での「聖餐式」では、一回も、何の感情も気持ちもイエス様の事でさえ思ったことが無かった。

現教会にて、「聖餐式」で泣いたのは、2回目。今回も「聖餐式」の後の賛美で、泣きました。(´Д⊂グスン

心の奥底から、出てこみ上げてくるものがあります。言葉にすると一言「イエス様、ごめんなさい!」。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

私達は、究極的にはイエス様には「ごめんなさい」と「有り難う御座います」と言う言葉しか、自分を絞り出すと出てこないのではないか?と思われるほどです。

:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

今日、交わった婦人と意気投合したのですが、全く、育った環境の違う婦人と私です。

婦人はクリスチャンホームで、私はアブノーマルな「放蕩娘」で育ち。

でも、一致して言っていたのは「クリスチャンって意外と、正しいクリスチャンとは真反対の人生を歩んできた人がならないー?」と。

だって、ミッションバラバなんてヤクザだよー。(o^-^o)「親分はイエスさま」で頑張っている。

教会はよく、ヤクザの世界と似てると言われるそうだ。「悪い人が行く所」( ̄ー+ ̄)

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

「心の一新によって変えなさい」(ロマ12:1~2)

(1節)そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。(2節)この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

今日の礼拝では、「KY」のお話と「秀吉」のお話でした。メモで書きとめたものを書きますと・・・・・・。

「KY」とは、空気が読めないという意味ではあるが、今世間では色んな意味でマイナスの場面で使われるそうだ。今の子供たちは「KY」を恐れているのではないか。それは、その子供の成長が難しくなる。失敗してもいいから、自分の言葉で自信を持って欲しい。「KY」とは自分を押し込めて、相手に無理に合わせることではないか。2節の「この世と調子を合わせてはいけない」日本人は、その世界に自分を合わせやすい。

心の一新によってでないと、2節を言動を伴って出来ない。肉体を持って自分を変えなさい。それぐらい具体的に自分を変えなさいと言う事だ。すでに、救いは罪の赦しがあるから、私達は変わるはず。だが、なかなか意外と変わらないのが現実ではなかろうか。

でも、バプテスマを受けたことによって新しい生き方に生きるように始まっている。

(秀吉の話)1587年、社会的には女性は思想を持ってはいけない時代だった。しかし、この年、秀吉は「バテレン(宣教師)追放」を打ち出す。そして、その背景には1人のクリスチャンの女性の存在があったのではないかと言う。秀吉に、美しい女性を沢山与えようという案が出来たが、1人のクリスチャン女性はそれを拒否した。女性は「地の塩」の役割をやったのだが、あの秀吉の命令を拒否すると言う事は自分がどんな目に合ってもおかしくないという危険があったにもかかわらずだ。秀吉はキリシタン迫害へと邁進して行ったのは、その女性の事が1つにはあった。この女性は、信仰を貫いた。いつも神さまを思い続け秀吉を拒否した。

秀吉が「一向宗」(浄土真宗)より、キリストが怖いと言わしめた事だったようだ。

.。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。

【新改訳改訂第3版】
<Mat>
10:28 からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。

↓↓↓ランキング参加してます。クリックを('-'*)ヨロシク♪ にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

ブログ村

昨日、現教会の牧師のブログでもやっている、「ブログ村」とは何ぞや?と、のぞいて見た。何か、こうゆうのは初めてだが、結構、私は「キリスト教」「病気」「音楽」を選んでいるが、私も参加してみようと思ったのは自分でも意外だった。

でも、単に根がミーハーなのでやってみようと思っただけかもしれない。(^-^; (いや、牧師のマネをした形かも・・・・・・)

期待は正直していなかったが、期待は裏切らなかった。(分かりづらいよね(^^;;; この表現)

結構、上位に「キリスト教」でのランクされている人のブログは、確かに面白いと言うか、「ああ、私と同じ事考えてる」とか、また意外な視点でクリスチャンとして世の中を見ている人とか、思ったより楽しい。学べる。o(*^▽^*)o

たとえば、私のミーハー根性から始めたとして、嫌なたとえだが私自身(基本的にTV見てないし嫌い)の発言や考えが、人にちゃんと伝わるか、否かとか。それが、数字になって表れるというのも面白いと思った。

まあ、分かりやすく思うには、そのTVの出演者の気にする「視聴率」だと思う。

私は意外に数字が好きなのである。(趣味)

。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚

これからは、「コメント」を受け付けるにしようかな・・・・・・と思っている。

ずーっと「コメント」を「受け付けない」にしていたのは、ちょっとやはりネット不信があるからです。

ネットで自分の思ったこと、感じたことを他人がどう思ったかまでは、私は正直、責任は負いかねる。

特に、負の重荷に潰されそうになっている人が居ても、その人を救うのは私の役割では無いと思っている。だって、ネットで解消される問題なら、もう、とっくに解決出来るはずだ。

解消されない人には、やはり、私がそうであったように、自分に合った良い教会へ行って下さいとしか言えない。

私が参加している「キリスト教」では、カトリックもプロテスタントも、リベラルもファンダメンタルもごちゃまぜだが、結局、本人の問題に戻るように、祈りに向かうようになると思う。

その人の立場や、考え方がネットではかなり分かりづらいと正直思う。そこら辺が、自分の「料理」の仕方なんですよねぇ~~~。゚.+:。(・ω・)b゚.+:。

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

私は、現教会で(今年からです)全くのゼロからの出発と思っています。今日も聖日礼拝。私の健康状態と霊性が整えられて、また、恵まれた説教、賛美が出来ますよう。クリスチャンの皆さんも良き聖日をと願います。

実は、昔から「黙想」することに憧れていました。現教会では、よく「黙想」するので、自分には合っているし、そういう教会に導かれて感謝です。

ランキングに参加しています。クリック('-'*)ヨロシク♪ にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

父は偉い

今まで、65年間で生きてきて、「あなたは、50歳までしか生きられない」と言われても、現在も生きている父。

昨日は、心臓の検査入院で見事に見つかった父の発作の原因。「冠攣縮性狭心症」

恐らく、聞きなれない病名だと思う。

何でも、心臓の血管が一部縮小して様々な症状が表れるという。これが、父の最近では、毎日だった発作の原因。

父は、今まで、4回の大きな内科の手術をしている。でも、父は一回も弱音を家族に話した事がない。少なくとも私の記憶にはない。

つい、そんな、辛い症状が出ると多少は周りの人に当たったりすると思うが、愚痴も言わず、ただ一人で家で座椅子に座って「うー」と唸っていて忍耐していた父だった。

凄い、精神力とも思う。でも、それを見ていられないので、私は、そうゆう時は、2階の自分の部屋で過ごす。

でも、その発作の原因がカテーテル検査で分かり、昨日は、病院へ行ったら父が本当に楽そうで、自分でも「こんなに目覚めの良い朝があるのか・・・・・・」と言っていた。

本当に良かったと思う。そこの心臓専門の病院を知ったのは、偶然(必然?)からだったと言う。凄いタイミングだったそうだ。

母は、歩きに行こうと予定を立てていたが、突然の大雨にあって、止めて、家に居たらしい。そして、私の義妹のお母様に、久しぶりに頂いた花が珍しくもって花を咲かせていると連絡しようと思って電話をした。

そうしたら、向こうのお母様から「ご主人はどう?」と聞かれて、母は父の発作を言って、「それなら、近い所に良い心臓専門の病院があるわよ」と言われて父を連れて行ったらしい。そして、昨日、心臓カテーテル検査で異常が見つかった。今日、無事退院の進みとなった。

。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚

現代の医療は、もう、東洋医学とは違って、分野が決まっている。

外科なら外科の症状しか分からないし、精神科なら精神の事しか分からないそうだ。

恐らく、東洋医学は、身体をそうゆうように、部分として考えず、身体全体をトータルに考えて、まず、病気になりにくい体質を作っていくという感じなのだろう。

「気功」なんかは、特に、そうゆう感じがしますが。

本当は、私はどちらかと言うと、東洋医学的な考え方の方が、個人的には好きです。でも、今の私では選択の余地がないと言うので西洋医学の精神科に通っている。うちのDr.も「気功」とか東洋医学的な分野にも詳しいので安心ですが。

...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。

ああ、でも、昨日は、本当に安心した。食事もロクに摂れていなかった事も多く、凄く痩せてしまった。あの身体では、抵抗力も落ちるのも、かなりあると思う。

母と「父には、まだ、神さまは生きていて欲しいんだよ」と言っていた。

もう、父にストレスをかけるような、話題は控えようと。労わらないとね。父には趣味の囲碁とスポーツと政治と社会の話ししかしないと。

...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。

私の職は、まだ、書類選考の段階なので、結果待ちです。2週間かかることが、最近は、多いという。神さまがくれた時間なので、牧師の言う通りに祈って、御言葉開いて進もうと思ってます。

しかし、牧師が私より一つだけ歳が上の若い牧師だとは知らなくてビックリ!Σ( ̄ロ ̄lll)しました。奥様が私と同い年だとは聞いていましたが。凄い恵まれ方だなあ・・・・・・。あの説教からすると。

今日の朝のデボーションでの痛い一言「(前略)心の中を、つまらないものやくだらないもので満たしていては、ほんとうのすばらしいものを食べる気もしません。(後略)」

ランキングに参加しております。クリックを('-'*)ヨロシク♪ にほんブログ村 病気ブログへ
にほんブログ村

|

面白い人~~~(笑)

朝から、かなたちゃんのHPにての、兄ちゃんの勝手ブログでの、私を含め3人のクリスチャンの会話で爆笑してしまった。母も兄ちゃんの勝手ブログにはいつも、感心したり、爆笑しているので、読んで聞かせたら爆笑してました。(^^;;;

今回の兄ちゃんの勝手ブログは、日本が誇る、むかーしの日本画家の素晴らしさのコピーが兄ちゃんの会社では出来たと言う話しの内容だった。

その答え方が、意外性もあって面白い。この3人、クリスチャン常連客。(爆)

そのURL http://otokan.hp.infoseek.co.jp/ のかなたちゃんのHPです。宣伝しておきます。ちなみに、このやり取りは「Diary かなたの徒然雑記」をクリックすると出てきます。

でも、肝心な「かなた」ちゃんは、今、体調崩しており、障害者年金も貰っている方なので、「かなたの徒然雑記」は、「かなた」の文章が無い分、もう、兄ちゃん前面フォローしてあげてます。兄ちゃんは昔からそういう人でした。(o^-^o)

兄ちゃんはプロのデザイナーさんです。もちろん、奥様もいらっしゃいます。奥様も難病を患いながらも、兄ちゃんと同じぐらいの精神力はありますね。素晴らしいですよ。リハビリは前進していこうという気持ちが無いと進まないものなのだそうです。

兄ちゃんとは、絵つながりでした。私が、イエス様の絵を描きだして兄ちゃんに見せていたら、とても良いと言ってくれました。

彼は、美術にももちろん造詣が深いのですが、世の中のあらゆることをよく知っておられます。てか、「よく食らいつくなあ~」と感心してしまいます。

オチのない「勝手ブログ」は作れないとの事でしたが、今回の「勝手ブログ」は、どどーん!と二段オチになっており、私は、それで、行動を起こしてました。

兄ちゃんね。結局は、うちの父の体調が落ち着いたら兄ちゃんの会社の多機能プリンタを購入することを検討します。

もう、ブラックのインクが漏れて漏れて、何だか身体についてしまうと、アザみたいになってなかなか落ちんのだ!決して、○○マークではない!(冗談(^^;;;

:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

かなたの掲示板に変な女が居たが、彼女、見て削除したかな?出来る状態にあると良いけれど。注意は、必要ですね。一時期は、躁鬱の躁状態のようにテンション高かったのになあ~。今は、自然に彼女が回復するのを待ってあげてください。

ランキングに参加しております。クリックを('-'*)ヨロシク♪にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

|

人間的に見ると

私は、非常に優しく、人を気にする女性的な資質が強い父のもとで育ち、今は、一日中、共に(定年後なので)暮らしている。

今日、ジョブコーチとのお仕事のお話で気付いたが、(私はその人の立場や肩書きより人間として見てしまう傾向がある)ジョブコーチは、かなり、(今まで出会った男性の中でも)、男っぽい。(幼稚な私の感性のせいかもしれないが)

男性思考のプロの眼である。それで、問い詰められると、世の中的には、的を得た質問なので答えに詰まる。まあ、基本、男社会だしね。

ほとんど、まともに、考えたことのない仕事へのお話や自分の考えは、正直、頭の中ではまとまっていない。

ハッキリ言って、私ほど「手ごたえ」のない人間も居なかろうと・・・・・・思われます。心中は、お察ししますし、「こいつダメだなあ」と呆れられててもおかしくない。見捨てられてもおかしくない。それは、しょうがないとしか私には言えないし、それが、私の限界かもしれないし。

あのような、男性的思考の強い人は、私も正直、応答するのが少々何を言っていいのかとか「怖い」とまではいかなくても、そういうものに近い感情が湧くのは私にとっては自然な反応なのかなあ・・・・・・とも思ったりした。態度にもモロ表れてるし。(^^;;;

やはり、父の影響は強い。(父は今、心臓の専門病院で治療入院中)

男・男している人は、私は少々苦手なタイプの男性らしい。大変、戸惑う。それは、原因が私が女性って事もあるし、私の資質なども原因と思われますが、それは、個人的な事なので、問わないとして・・・・・・。

と、まあ、私の視点はちょっと普通の人とは、かなりかけ離れていると思われます。(^^;;;

:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

そもそも、ウチは母親の方が男っぽい。かなり、女性的な男性と、かなり男性的な女性で成り立っている家庭である。その中間が、私。

でも、そうなると母親は父親の役目もしなくては、いけなくなるので「たくましい」のは圧倒的に母親だ。

娘をかばうのも、怒るのも、誉めるのも、守るのも、しょうがなく母親の役割。今でも、そうなのである。ウチは「特殊」と言うのは母の口癖だ。恐らく、Dr.が「母親は、私を甘やかしている」と言うのは、そこら辺の事ではないかと推測する。

。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚

はじめに戻ると・・・・・・。私は、社会でバリバリやっている強い男性より、教会で、自分の罪や弱さを知り、神様のメッセージで涙しておられる兄弟の方が、気持ち的にはよ~く分かります。理解出来ます。私に志も近い人(男性)だと思われます。

やはり、考え方は宗教の影響もかなりあると思いますよ。だって、一生かけての事ですからね。

神さまの選びまでは、分かりませんが、究極的にはやはり、私はイエス様のところに戻ってしまいますね。もう、クリスチャンはそういう人たちだと思っても良いと思います。「ご支配」にも「神さまの時」が備えられていると祈る時間は、今、必要かな・・・・・・。

果たして、「御心」であるのか無いのか。やっぱり、優先順位は神さまですねぇ~。これは、譲れないものです。信仰はそもそも「他人」と「私」の関係じゃなくて、「神さま」と「私」が第一の関係のためにあるものなので、この世で、理解されなくても私は良いと思っています。

...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。

はー。(疲れた)でも、父の心臓の検査で、悪い所が見つかって良かったです。もう、毎日具合悪くしていたからね。これで、父はかなり楽になると思います。家に同じ部屋に居て、具合の悪い父を見ていると気の毒でしょうがなかったので。このまま、良い方へいってくれると祈ります。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

|

がばい

「先生」と言うと、私は本当に恵まれていた。小4の時にも、担任の男性の先生の実家で、10人ぐらいの男子女子で静岡(?だったか)まで、遊びに行ったことがある。私が、その小学校を転校する時に、その担任の男性の先生から「駅の反対から『○○先生~』って手を振っていたお前は可愛かったぞ」と素敵なミッキーの大きな星型の時計をくれた。私も「先生の結婚式には絶対行くからね!」と言っていた。

他にも印象に残る先生は何人か居ます。でも、特に、高校1年の時に、私のクラスの担当になった「のりさん」は、最も、影響された先生だった。ちなみに、「のりさん」は数学の先生。だから、当時は、英語と数学しか勉強してなかった。(^-^;

今回、取り上げるのは私が高校3年の時の強い印象的な事。

「のりさん」は、高校3年は、私の担任ではなく、学年主任をしていた。そのエピソードの一つ。

一人の男子生徒が校則違反でのバイク登校事故で亡くなった。私は、その男の子の事は直感で「あの子だ」と思ったら、確かに、彼の机の上には花がいけてあった。

「のりさん」はその学年の生徒達を体育館に全て集めて一喝した。

「お前らの友情とは、そんなものか!」と。

バイクで登校することに、どんなに、危険が伴うのかも想像していても分かるのに誰一人「止めろ」と言う事を本人に言わなかったのか。忠告しなかったのか!と。「のりさん」はそれが本当の友情だろう!と。

また、それ以上に怒っていたのは、あげくには学校の授業をサボって葬式に行く男子が多かったと言う事だった。そんな「形」だけの行動して、それが「亡くなった彼を思いやっている」「正しい」と思い込んでいるという事に「のりさん」は「お前らの友情はそんな程度のものか!」と一喝したのだった。本当の「正しい」ことが、まだ、そう声をあげる先生が居たことによって「正しさ」が通じる時代だった。

そんな「のりさん」だが、当時の何を思ったのか、「○○(私)は一人でも生きていけるのだ」と発言していたと聞いていて、私には分からない発言だった。どこが?「のりさん」?(笑)

「のりさん」との思い出は沢山ある。私が数学の勉強しかしていなかったのも愛情表現だったし、本当に良い先生だった。女子生徒(私も含め)数名を自宅に招き、奥さん(も高校の教師)の手巻き寿司を食べながら、「のりさん」は本当にリラックスしていて、私は嬉しかった。「女子のミニスカート(当時は長いのが普通だった)は、俺は嬉しいのだ」とかの思いっきり冗談から「この学校の体育会系の先生達の思考は分からんのだ」という私達に言って言っていいの?という発言まであった。

とっても、良い家庭の雰囲気で、帰りは私は自分の家庭でそうとう悩んでいた時期だったので、こんなに自分がコンプレックスを持っていたのだと気付いて泣いて帰った事を思い出す。

:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

他に、有難かった先生の話しもある。女性の英語の先生で、授業の最後には必ず洋楽を歌詞などのプリントと一緒に曲を流していた。

そして、高校2年の最後の英語の授業前に最後の洋楽の曲は生徒のリクエストにしようと先生は紙を配った。私がリクエストしたのは、BRUCE SPRINGSTEENの「THE RIVER」だった。

最後の授業では、こうゆうリクエストがありましたと読み上げて、私の「THE RIVER」はかからなかった。特に、何とも思わなかったけれど、授業が終わって一番前の席に座っていた私に先生が謝ってきた。「ごめんなさいね。曲の資料が見つからなくてかけられなかったの」と。(私はバリバリHR/HMを聴いていた頃でしたが)

それが、高校2年の終わりで、高校3年の半ばだったと思う。別の担任の先生に「○○(私)お前にプリントがきているぞ」と言われて読んでみた。

そうしたら、もう、すっかりこっちは忘れていたのに高校2年の時の最後の英語の授業で資料が無かったため「THE RIVER」がかけられなかったことが書いてあって、確か、内容は「この曲は知る人ぞ知る名曲。長い間、探していた資料が見つかってやっとかけられました・・・・・・云々」と言う内容だった。

そして、その英語の先生からメモで「かけられなくて、プリントだけでもと思いました」と書き添えてあった。何か、とっても嬉しくて、今の子供たちは、そういう楽しい学校のエピソードを持っているのだろうか?とか、マイナスの事ばかり聞くので、悲しい時代になったのか・・・・・・と思った。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

|

今日は画像のみで

私は、クリスチャンなりたての頃から愛読している故水野源三さんの詩と私のど素人の絵のコラボをお送りしたいと思ってます。

Photo_32

Photo_33

Photo_34

Photo_35

Photo_36

Photo_37

Photo_38

Photo_39

Photo_40

Photo_41

Photo_42

Photo_43   

と・・・・・・今日は、ここら辺で・・・・・・昼寝しようっと。(^・^)(pityは以前のHNです)

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

|

本日2回目アップ~

読書感想文です。マンガだよ。「おーい!竜馬」です。(皆、渋いって言うんだよね)

 坂本竜馬は、小さい頃、とんでもない出来が悪い、ダメダメ人間であった。その竜馬があれだけの大事業を成し、歴史に名を残し、今でも特に男性に支持されている。

「君死せど 我が心に残る 君の生き様」(作:私)

竜馬の死をうたったものです。竜馬には三浦綾子さんぐらいまで、生きていて欲しかった。「やることは、たくさんあるが、体が利かない・・・・・・」というぐらいまで、生きて欲しかった。そうしたら、もしかしたら、第二次世界大戦も、薩摩の西郷さんの死もなかったかもしれない・・・・・・。

本当に惜しい人を亡くした。日本の財産と言うべき人だ。坂本竜馬は。これからって時に・・・・・・。

明治維新を理解出来なかった下々の人たちによる暗殺だと考えられるが・・・・・・。謎なのだそうだ。愛蔵版では、十四巻で、物語は完結し、竜馬が暗殺されて終わる。

マンガのサイトに竜馬の返り血をあびた屏風が寺田屋にあるという。

是非、金があったら、観に行きたいものだ。友人が「クローンなんて、反対!と思っていたけれど、あの屏風からDNA鑑定をして竜馬のクローンを作って欲しい!」と言っていた。

しかし・・・・・・竜馬よ・・・・・・十四巻で殺されてしまったが、あなたは私の心の中で生き続けているのだよ。「人の心の中で生きているよ!生き様を人の心の中に住まわせるなんて素敵!!!」と思いましたよ!

竜馬は、絶対天国に逝っていると思うから待っていてね。(゚▽゚*)

カウンセラーにも勧めてみたものの・・・・・・「今の若者はダメよ~。嫌いな言葉が努力とかだもの。ハングリーは無理。悪いけれどね。」と言っていた。

情けなかーーーー!ああゆう人たちが居たから、今の、私達の営みがあるのだよ。

あの「おーい!竜馬」は、一人ひとりの登場人物が詳しく描いてあるので、感情移入しやすい。多くの、日本の若者たちが国のために死んでいく。正しさのゆえに、死んで逝くのは辛い。

でも、そういう人たちが居たのだから、もっと私たちは(あらゆる事件に満ちているこの国ですが)日本を誇ってもいいと思った。

特に、自分が何にも出来ないと信じ込ませられてしまっている、ニートに近い人達には是非、このマンガは読んで欲しいと思う。統合失調症の私だって「あのダメダメ人間の竜馬が、あんな偉業を達成しようとしていたのだから・・・・・・」と思ったな。

まあ、坂本竜馬大ファンの(熱狂的)武田鉄也がストーリーを作ったことを(私は彼は好きではない正直)差し引いてもだ。

希望のない人、閉じこもっている人、きっと読む前と読んだ後の自分が変わっていることに気がつくはず。古いマンガなので、古本屋でも、立ち寄った際には頁を開いてみてください。今は図書館で、堂々と読めるよ。

もちろん、「おーい!竜馬」はかなり脚色してあるはずだし、有限の書であります。

クリスチャンの私は、永遠の書は聖書だけだと言う姿勢は貫きます。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

|

ファン

ファンがミュージシャンをダメにする事を10代の時、思いっきり感じた事がある。

ある、HR系のアマチュアバンドを1月の半ばに見に行ったことがある。友人から「彼らは、今年に入って3回しか練習してないんだって」の時点から、もう、私は半分怒っていた。

案の定、アンコールの時、私が「○○~!」と叫んでいて、アンコールでメンバーが出てきてVoが「俺を呼び捨てにするな」と言った。「お前何様だ?金出して楽しもうとしているのはこっちだぞ!」と思ったが、最悪と思ったのは、私の前にいた女性ファンが「○○さんに怒られちゃったね!」と言っていて、それからは、もう、ジャパメタには絶望した。

こうゆうミュージシャンをファンが甘やかす事は本当にミュージシャンをダメにする。

。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚

それと、よくプロレスが好きで、プロレスのお友達が沢山居た頃、女性ファンから聞いた言葉で「筋肉ムキムキの男性の身体を見ているとムラムラ(○E○)すると言う女性は決して少なくない。

でも、それも私には当てはまらなくて、不思議な女性の感覚の一つである。

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

昨日、甥のRと遊んでいた時(子供の成長は早いなあ~)自分の部屋の掃除もやっていて、私は凄いものを発見した。母教会で一時期、可愛がられていたSパパが私が三浦綾子さんのHPでの「疑問と回答」のコーナーにハマっていた時、ふと、それをワードで編集していて、その文章をSパパに読んでもらおうと思っただけだったのに、私の文章だけを全部「て・に・お・は」を始め、意味不明なところや、こう表現した方が良いとか、まるで赤ペン先生のように隅々まで、添削してくれていたのです。

それが出てきて、私は「Sパパ凄い!」と、絶賛した。SパパはCBTの財産と言って良い。本当の愛の人である。しかし、私は本当に良い期間に母教会に通っていたなあ~とつくづく思う。

その一例「疑問その122」(私の疑問)「教会生活が長くなってくると礼拝に行く事が義務なのだと思われたり、また、説教中に雑念が多くなってくる傾向が最近あって悩んでいます。

(回答に対する私の文章)大変、初々しい証し(回答)有り難う御座いました。また社会人としても、大変な中、近くの教会を探して祈祷会を守っているなんて、素晴らしいですね。

人が内に持っていないものは、他の人には伝わらないものですから、あなたはきっと御心にかなった信仰生活を歩んでいらっしゃるのでしょう。神さまへのひたむきさが文面からひしひしと伝わってきました。私というと・・・心身共に弱いもので、信仰生活4年、さまざまな信仰の浮き沈みを味わいました。あるんですよ~。ダビデさんにもあのパウロさんにも。

また雑念って毎日の生活から出てくるものだから。ある時などは、救われた後なのに、「私はクリスチャンじゃなければこんなに悩まなかったかもしれない」と思った事もありました。

でも、神さまによってそれは、大きな悔い改めに変えられました。マイナスをプラスにしてくれるのは神さまのわざであるとよく言われます。

私は不信の材料を拾いやすいのですね。現在、父が入院して手術したことなどで疲れているので、よけいそういう傾向になりやすいのですが。

まあ、一概にクリスチャンはこうあるべきとは、言い切れないと思いますけれど。

このような私のために祈っていただいて有り難う御座いました。(回答者さん)○○さんの信仰に命への祝福が豊かにありますよう。祈りつつ。在主。」以上。Sパパの添削した数ある中の文章でした。

☆*:;;;;;;:*☆*:;;;;;;:*☆*:;;;;;:*☆*:;;;;;:*

昨日、帰り際に教会員の姉妹と少ししゃべって姉妹から「あなたもよく来ているわね~」と言われて私は正直に言ったのは「私はこの教会に来ないと生きていけないぐらいの弱い人間なんです」と言ったら姉妹から「それは、素晴らしい!」と意外な返事が返ってきました。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

|

聖日メッセージ

今日の聖日礼拝メッセージを出来るだけメモしたものを書きます。

「祈りとは何か」マタイ7:7~11

【新改訳改訂第3版】
<Mat>
7:7 求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。
7:8 だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。
7:9 あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。
7:10 また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。
7:11 してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。

(第一部メッセージ)携帯電話は皆さん知っておられるでしょう。便利なものであります。いつどこでも、連絡を取りたい人と連絡が取れる。

でも、実は、イエス様も同じなのです。私たちは、お祈りによってイエス様に聴くことから始まります。そこで11節を見てください。神さまは良いものをくださるということです。自分の求めではなく、神さまの御心にかなうものだけ聴かれます。

自分の考えが神さまのご計画であるか?と神さまのお考えを知りたいと思い、それがクリスチャンの生活であります。例えて言うと神さまは、神さまの願いをお祈りと言う電話をするのです。

偉大な過去のクリスチャン達は、皆、とても祈りの人でありました。

ハドソン・テイラーは5歳の時に「自分は、宣教師になるんだ!」と言っていました。けれど、大人は笑いました。しかし、神さまは、ハドソンのご計画として与えていらっしゃったのです。それを理解した母親は祈っていたそうです。父親は、「神さまは嘘はつかない。間違った方向へはいかせないよ」と息子に語っていたそうです。

しかし、ハドソンは大人になって、仕事をしてくると人を見下げたり、傲慢になってきました。聖書も祈りもやめ、仕事では目が悪くなって、仕事を辞めました。その背後には、妹のお祈りがあったそうです。

ハドソンは、家の店の手伝いをしていました。お祈りの時間を2倍の時間、聖書も2倍に読むようになりました。その背後にはやはり、母の強いお祈りがあったからです。家に居てハドソンは父親の本棚を見ていました。ふと気になったのが「教会学校の本」でした。どんどんと読み進めていき、ハドソンは自分の罪や汚れを感じ清められたと思い、悔い改めました。そうしたら、ハドソンの心に「喜び」の心が与えられました。その後ろで、ずーっとハドソンの事を祈っていた母親は回心したハドソンを見たいと思っていました。そして、ハドソンは母親に自分が救われた姿を母親に見せることが出来たといいます。そして、ハドソンは、中国宣教に邁進していきました。

私たちも、神さまの前で祈って、また、何で祈っているのかも考えながら祈りましょう。

:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

(第二部メッセージ)詩篇46:10

【新改訳改訂第3版】
<Psa>
46:10 「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。わたしは国々の間であがめられ、地の上であがめられる。」

祈りと言うのは、人類にとって不変的なものであり、色んな神々のために祈ってきました。また、古くは、人間をも犠牲にして神に祈ってきました。無神論者でさえ、祈りに最終的には終わるでしょう。「もし、仕事の事で、何か正しいことを考えるならスターリンを思い出しなさい」と言うのも祈りです。

私たちは沢山の思い願いから祈るのです。人類にとって人間は不完全なものではあります。パスカルが言っていたように、神さまにしか満たせないものが人間にはあるのです。クリスチャンは祈りを聴いてくださるお方を信じ、その方は、悪いことは与えない。私たちのその必要、また私たちの罪のためにイエス様の命を十字架で担われたのです。

現代は祈ることが難しい時代です。自分の頑張りが強い時代。だから、神さまに祈る時間が短くなってしまう。神さまは祈りの時、答えられるのにも様々な人間側の色々な条件によって祈るのが困難になってきています。

詩篇46:10は「やめよ。」と言うことは「静まれ」と言う事です。神さまは、私たちへと祈りと言う、「バケーション」を与えます。私たちが忙しいことを、やらなければならなければならない事をから解放され、色んな大自然に感動出来たり、素晴らしさに目が開かれて神さまの大きさと自分の小ささに気がつきます。

祈りはとは、そういうことだと言う事です。祈りの大切さを思い出させ、禁断的なものではなく、高いところから祈るのです。祈りと言うのは、神の視点を思い出させるのです。仕事では、世に悪い影響だけを与えるものもあります。また、自分の足をすくうものでもあります。

生活の人との関わりの中で、どのように私たちが関わっているのかを、神さまは見ておられます。この地上に居て神様にあって、様々な、環境の中で、どのように生きることを神さまは見ておられます。

詩篇46:10の「やめよ。」は=「さぼりなさい。」なのです。そして、神さまに祈って神さまに返すのです。

外国の宣教師は、自分を見失わないように母国での自分を覚えて祈ってきたそうです。今の北朝鮮の拉致問題もそうです。めぐみさんも自分を日本で生まれて育ったことを、見失わないように生きていたのです。

祈りの歩みの中で、「再構築」するのです。休み、本当に信ずべきものは何か、神さまを神さまとして思い出し確認しお祈りするのです。

...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。

良い教会に使わされたなあ~と、今日も過呼吸気味だったけれど、何度も朝祈っていったので、とても良いメッセージに、何故、私はヨハネの黙示録で「2:4 しかし、あなたは非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった」が分かり、お祈りの課題にしようと、また、悔い改めもしようと、あの「証し」の今でもありありと思い出す教会への招きの神さまの愛の迫りを思い出そうと思いました。牧師の心と、神さまの御心が見事に一致(私の中では)していて、ぽろぽろと泣きながら恵まれたことに感謝しつつ応答もしていくつもりです。仕事に関する現実もDr.からも、就労センターさんたちからも「考える時間」を与えられていて自分なりに祈っていきたいです。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

|

証し

幼い頃、私はどちらかというと友達が多くいつもちやほやされていました。でも、自分の心の中は醜さを自覚していて、なぜかわかりませんが『誰かきっとこの醜い心を知っておられる方がいる』と考えていました。 今になってみると私の醜い心を知り、哀れんでくださっていたイエス様を感じます。

高校の3年間、私はRockに夢中になり、プロ・アマ問わず200回は、コンサート、ライブハウス通いをしていました。今考えるとその頃は、家庭の中での問題もあり、現実逃避の為にRockに熱狂していたのかもしれません。心のはけ口としていたバンド活動も2年で挫折、バイト先での人間関係にも挫折し、神経症を発病し、とにかく人と関わる事が怖くなり、私はひきこもってしまいました。

神様を知らなかった20代前半の私は、大変虚無的で、いつも早く死にたい死にたいと考えていました。自分の言動にも、責任を持たなく、自分の口から出る言葉の影響がどんなに人を傷つけるか、また自分を闇に追い込んでいくか、その重大さに気がついたのは、ごく最近です。

そんな時、三浦綾子さんの本に出会いました。私はその頃、いい人間になりたいと必死でした。何より教会へ行って救われないと私はこのままでは、ダメになってしまう。自分が変わらなければと必死でした。

そして、思い切って、三浦綾子さんへお手紙を書きました。三浦綾子さんからお返事のカードをいただき、未だかつてない霊的なものを感じ、神様は本当に生きていらっしゃって三浦夫妻を強烈に愛しておられる、私もその神を知りたいというのが、私の求道のきっかけでした。

紆余曲折の教会探しの中、私はある忘れられない神様の導きを経験しました。これから話す経験は、教会の方々にも、神秘主義のように思われるかなと思ってあまり話したことが無いのですけれどもあえてお話させていただきます。

今から、6年前、精神病の症状が酷かった時に、気晴らしに両親と一緒にお墓参りに連れて行ってもらったんです。お墓の掃除や草むしりをやっていて、母がお墓に生けるお花を出してそれを見ていたら、鮮やかな赤のガーベラが一本あり、しばし見入っていた時、御聖霊さまが語りかけて下さいました。『きょうは、生えていてあすは、炉に投げ入れられる野の花さえ神はこのように装って下さるのなら、あなたがたにそれ以上よくしてくださらないはずがあろうか』(マタイ630節)

神はどこまでも、愛のお方だと思いました。そして、日常生活で生きていくための力さえ奪われていた私に、この御言葉と共に確信と平安が与えられました。帰りの車の中でも、私のこんな状態を一番心を痛めておられるのは神なのだ、悲しんでおられるのは神なのだと涙がこぼれてきました。

そして父が「ジュース買うか」と偶然車を止めた時、横を見るとなんと教会の前だったのです。涙がもう止まらなくなりました。その時、神の御心を知り、神の私への声なき声を聞いたような気がしました。

母と二人で、教会へ来た時、伝道師に礼拝堂に案内していただいて、私は、ミーハーな者で、礼拝堂に一目惚れをして調布教会へと導かれました。

そして次の日、特別伝道集会があり、k姉妹との劇的な再会に驚きました。

私は、小学校5年生まで川崎で育ち6年生の時、引っ越しをしてI市に住む事になりました。その時、同じクラスだったのがk姉妹でした。中学でも、テニスクラブで一緒でしたが、特に仲が良かったというわけでもなかったので、高校に入ってからは、音信不通になっていました。

後にk姉妹から聞いたのですがk姉妹は「市民で、知り合いで、私が主の事をお伝え出来る方をお与え下さい」と祈っていたそうです。まさに私の事であり、姉妹の祈りが実を結んだのです。その日、T先生の個人伝道でイエス様の十字架の愛を知り、私は救われました。

まだ、私の神経症は、完全には治っていませんが、Drは大変理解のある方で、「薬が変わっていないのに、こんなに良くなるのは、あなたの教会の健全な信仰のおかげなんですよ。」また、「あなたには、信仰が一番大切だから。」と神様への信仰があるので、カウンセリングの必要はないと言ってくださっています。イエス様が最高のカウンセラーなのですね。

クリスチャン生活、約4年経ちました。心身共に弱さを覚え、不安も多々ありましたが、クリスチャンとして、さらに神様に期待し、確信をもって日々主を仰ぎ、前進出来たらと願っています。
                                    199548日(土)

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

|

久々に

何年ぶりだろう、悩んでいる。と言うか、自分のお仕事に対することについて、しばらく、考えたいと思っている。

実は、私のように、趣味が多彩にある人は、抜きん出て「これの分野では、誰にも負けない」ぐらいの賜物を持ってらっしゃる人には、正直、かなわない。少なくとも、特定の専門分野にはほとんど向いていないと言っていいだろう。(モロ仕事内容が「理系の物理」だとか。そういう所もありました。)

Dr.からも、「あなたは、バリバリのキャリアウーマンタイプではない」と言われているし。

そういう面からも、普通の会社での事務のお仕事を障害者枠で探している。今現在、昨日書類を出したのは、情報関係の会社ですね。私的には「チャンスは掴まなくては」と思いましたが。

でも、本当は、面接でも、職に対する態度でも、その場に置かれないと正直分からない事が大変多いと思う。

それは、自分で感じたりして判断することなので、それは、自分の責任において、「GO!サイン」を出すか否かは、面接したり、実際会社に入ってみないと分からない事だと思います。

後、Dr.が言っていた「慌ててる」は、私は、今、一生懸命やりすぎてるから「あなた大丈夫か?」とDr.のお気持ち的には同義だと思ってます。まあ、Dr.からも、ジョブコーチにも言われているのは、「何日間かかると思うけれど、ちょっと考えてみよう」です。

Dr.の一番の心配は私の体力ですね。体力の上に気力、意欲、意思、感情などがのっているから、「体力」が低下してきた時に、その上にのっているもの全てが落ちてくるそうです。だから、続くかどうかでしょうね。私もDr.の言う事には、多少左右されますが、ちょっと時間を下さいと言うしかないですね。現時点では。

。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚

私のアイデンティティーの土台は、『イエス様』です。私が何故、そこまでキリスト教に求めるのかは、私には分かりません。イエス様が天上で「あの子は可哀想だ」と憐れまれて選ばれているのでしょう。でも、キリスト教は受動的と同じぐらい能動的なものも求められますよ。だんだん、そうなっていく宗教です。神様から。教会への召しも、本当に神様の御心としか思えません。母教会の時に皆さんの前で「ボー読み」した証しで分かると思います。(当時の青年のリーダーが、「○○さん、ボー読みだったけれど(私)御言葉は、聖書読んでいるだけじゃないんですね!」と文章を持っていかれました。(~ヘ~;)ウーン。懐かしい)

その後も、証しは三浦光世氏にも読んでいただき、感想まで頂いて嬉しかったですね。「お便りと証し、ありがたく拝見しました。正に神さまは生きていらっしゃいますね。証しの終わりのほうの一行一行、特に感銘しました。ひきつづき毎日あなたのために祈らせて頂きます。御祝福がいよいよ豊かにありますように」と。FEBCや、心の泉会の会報でも取り上げられた証しです。社会に出ることも、教会生活が落ち着いたらと考えての事でした。

牧師にも、「世において頑張ることに聖書はどう語られてますか?」と聞きました。

牧師は「まず、勤勉でありなさい」と言ってますよね。(笑)私が「確か『箴言』でしたよね?」と言ってましたが。「キリスト者は、その召されている場で何を神さまから求められておられるのか?神さまの御心はどうなのか?が大切で、キリスト教は極端なことは言わないですから。中心がしっかりしていればいいんです」と仰られていました。

「ああ、私は良い教会に行ってるなあ~」と素直に思いました。こうゆう、神さま第一の考え方が世では通用しないのは、分かってます。でも、有形無形で神さまは、確実に(「神さまはロマ書の9章5節に「神はモーセに『わたしは自分のあわれむ者をあわれみ、自分のいつくしむ者をいつくしむ』」と言う神さまなので、この御言葉で分かるように、完全に素晴らしい自由意思を持っていらっしゃる神さまです。

私が神さまから選ばれて、色んなところを通らされて今あるのは、この神さまのお陰です。

もちろん、クリスチャンだけではないと思いますよ。ロマ書9章5節は。

私個人、神さまに関してすごーく感じていることは、神さまは私を「幸せにしてあげたい」と強力にお考えで、事が成っていくと言う事です。今の私には、それぐらいにしか言えませんけれど。

...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。

もう!今、聖書通読は、「出エジプト」と「ヨハネの黙示録」。難しいよ!!!(。>0<。)FEBC放送で、ある方が「神さまは、なんて回りくどい。分かりづらいことを仰るのでしょうか?」と言っていて「わー!!!私もそう思う!!!」と笑っちゃったけれどね。(;´д`)トホホ…

でも、母が一言「あんたが、いつも、頑張ろうとすると色々と困難が出てくるね。何かあるよ」私「それ、サタン。自分でも一番に感じてます」サタンに目つけられていますね。確実に。でも、一般の人がサタンとかじゃなく、自分の中にもサタン的要素はあるのです。それは、悔い改めなければいけない事ですね。クリスチャンだけが、守られているなんて、嘘ですよ。皆、三位一体の聖書の神さまに愛されています。これは、本当に言える。

まあ、今日は一日ぽや~ん(´ρ`)ぽか~んとしようかな。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

|

意外な賜物

古着屋が近くにある、私の今の信条は300円以下じゃないと洋服は買わない。昨日は、ちょっと寄ってみた。まあ~あるわあるわ。(* ̄ー ̄*)

私は、この古着屋で、行く前は本当に洋服を選ぶセンスはゼロだと思ってました。今まで母が全てと言っていいほど買ってました。でも、そこのリサイクル屋さんに「何だろうここは~・・・・・・」と、入ってみたら、安くて時々良いものがかなりあった。もう、ドカ買い。7着買っても1000円ちょい。

この間に、母教会の姉妹と会ったのですが、「今日は、洋服に気合が入ってますね~」と(彼女も私も同じく洋服のセンスない人だと思っていたので)言っていたので「実は、これは、古着で安くて自分で選んだんだよ」と言ったら驚いてましたね。彼女。

今日も、自分のセンスで上下組み合わせてみたら薬局の人に「身体の調子が良くなると、オシャレする余裕も出てくるし・・・・・・」と言っていたので、私が「これ、ちなみに上300円、下300円ですよ」と言ったら、また、驚かれました。(゚0゚)

本当に無いと思っていたものが、何かのキッカケで開花することはよくある事ですよね。o(*^▽^*)o 私は、ちょくちょくそこの古着屋には寄ってますが、これ以上は今月は買えないですね。古着に関しては、そのお店が洋服の回転が早いそうで、全て一点ものです。

。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚

私の病名は「統合失調症」ですが、Dr.によると「統合失調は薬で治る」そうです。「だからかー」と思いました。状態が悪くなると「薬を飲めば治る」とDr.が仰っていたのは。

今、ちょうど良い新しい障害者枠での書類選考の書類作成中です。近くだしなあ。是非、拾ってもらいたいものです。

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

クリニックからの帰り道、ふと「天才柳沢教授の生活」18巻を読んでいたら、もう、ボロボロ涙をこらえるのに必死だった。

買った当時は、そんなに、心の琴線に触れるものではなかったのに・・・・・・。やはり、本もマンガもタイミングですよね。

これも、改めて読み返さなくてはと思ってます。人間として、子供、大人、学生、大切な事をこのマンガ、描写だけで伝えてる。(>_<)ヽ ナケルゼェ

凄い才能を持った漫画家さんが、ここにも居たと発見。しかも、それも、以前にドカ買いしているので、『感動は無料』です。

何か誰かが言っていたな。『人間にとって良いものって、みんな、ただ(無料)』だと。(o^-^o)

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

|

健康

宣伝マンみたいで、嫌だけれど、私が長く使って体に良いと思われる=「元気になる」お医者さんから勧められたサプリメントを紹介します。ネイチャーメイドの「マルチビタミン&ミネラル」これは、ビタミンCも入っているし、昨日行った婦人科のお医者さんも「良いですよ~」と仰ってました。ネイチャーメイドのサプリでは、一番高いのですが、一ヶ月千円と思うとこの元気の効きは嬉しいですね。

。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚

昨日、ふと思いましたが、世の中、皆、ピリピリしているのかなあ~?と思ったのは、電車の中で、おじさんの足の小指と私の足の小指が触れただけで「なんだぁ~(-゛-メ)」と言われて私が「すみません」と言うとおじさんは、腹の虫がおさまったのか何にもそれ以上の事はありませんでした。

でも、駅でのトラブルは多い「人身事故」や、肩が触れ合っただけで、下手すれば殺されてしまう時代。

何もしていないのに、線路に向かって、背中を押されて電車にひかれて殺されることもある。それも、何故?という動機が実に曖昧だったりする。うかつに私も駅では、線路の近くに立てなくなってしまった。

ピリピリしているんだろうなあ~皆。厳しいこの世にあって、生きることさえ汲汲としてしまう時代なのだろう。

昨日は、定期的に私は抗精神薬の副作用で「プロラクチン」と言うホルモンの値が高いので婦人科にかかっている。そこは、キリスト系の病院。素敵なお店がある。もちろん、個性的で素敵な食べ物が置いてある。大人も子供もアレルギーなどを考慮して作った安全なクッキーやアメなど諸々がある。

昨日は待たされたので、小腹がすいたので黒糖バナナのクッキーと梅肉入りのアメを購入。クッキーは味も素材の味を活かしたもので、なかなかだった。ちなみに、黒糖もバナナも身体に良い優秀な食べ物である。

梅肉の入ったアメは、ちょっとハマりそうなぐらい美味でした。やっぱ少しは、値段は高めだけれど、また、来たらリピーターになりそうだ。(*^-^)

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

昨日は、CMCCさんのあまりによく繋がるので、個人的に「お父様」と呼ばせていただいている方から有力情報が。CMCCさんでは、無料でキリスト教ベースで(臨床心理士もいる)のカウンセリングが予約を取ればやってくれると言う。

クリスチャンの友人がうちのDr.のキリスト教への理解の無さに「病院変えたら?」と言ってくれて心配もしてくれている。でも、私としては今のところ、そうゆう気持ちはサラサラないし、逆にDr.に求めてもいないのにキリスト教のことを理解しろと言う方が酷なんでね。(^-^;

しかし、私の行っている婦人科の病院は「教会通り」と言う道を通る。「教会通り」は、大変愉快な通りです。健康食品をはじめ、こだわった個性的な店が多い。o(*^▽^*)oやたら、整体とかもあるし。な~んか、不思議で愉快な通り。「教会通り」

...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。

クリスチャンなら、一度は聴いたら良いと思われる黒人霊歌名演集があります。中でも、「深い川」は知っている方は多いと思われます。私が、良いと思っている合唱のものを、昨日、ちょっと「JBBF」の事でビビらせてしまったR姉にプレゼントしますので、CBTの賛美にしても良いのでは・・・・・・と部外者の私でも思います。R姉、また会って語り合おうね!(◎´∀`)ノ

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 病気ブログへ
にほんブログ村

|

桁違い

私はよく「Windows Media Player」のアイコンと「Internet Explorer」のアイコンを間違えてクリックしてしまう。だって、似てるように私には思えますが・・・・・・。( ̄Д ̄;; 似てません?(・_・?)ハテ?

しかし、私は聖書の神様を信じるクリスチャンなので、やはり、人が「死」ぬと言う事に興味をもちます。母教会でも、二人の青年が亡くなってます。二人とも病気でした。でも、私が言うのもなんですが、二人ともちょっと一癖ある兄弟姉妹だったので、残された皆は「あんまりにも本人が可哀想でお迎えに来たのでは・・・・・・云々」と言っておりました。

マイケル・ジャクソンのセレモニーはやはり、普通の人のものとは桁違い。(彼の終期を「摩訶不思議な人になっていったのは残念です」とまさにそう!と言う意見もありました)でも、思うのは、やはりマイケル・ジャクソンもファンは早いかと思われているかもしれませんが「神様からのお迎えが来た。もう、彼のこの世での役割は終わった」としか見れません。

だって、大好きなミュージシャン達が、無理してまで堕ちていく姿は見たくないでしょ。辛いっしょ。正直。

兄ちゃんもマイケル世代。でも、言ってた「人間、巨万の富を手に入れるとトクなこたあない・・・・・・ことを身をもって証明してくれました」とね。兄ちゃんらしいや。( ̄ー+ ̄)

ちなみに、聖書にはこう書いてある。マタイ16:26「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損したら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう」

ちょっと、御言葉について福音に関することは一字一句間違えて伝えると大変な事になると思われることがあったので、今、↑の御言葉をJ-BIBLEで検索しました。

詳しくは母教会の信徒の躓きとなるので言いませんが。

最近は、朝のお祈りの時間に「使途信条」と「主の祈り」を祈るととっても心が穏やかになります。

しっかし、昨日、2チャンネルで久しぶりに検索してみたら、うちの「日本イエス・キリスト教団」ではスレッドが無かったのですが、「JBBF」と入力すると「うっわ~~~!!!」( ̄Д ̄;;と出てくる。

世では、そんなに酷い、それも、名指しで書いてあるのでそんなに恨みを買っているのか・・・・・・と大変苦々しく思います。でもねぇ。それより「あなた達、その(JBBF)牧師のために祈ってる?」と思います。

私も、礼拝最後の招きも正直大嫌いだったし、説教は恵まれないし、疲れるし、合わない協力牧師も正直居ましたよ。でも、何ヶ月も祈りました。それで、私と合わない牧師の説教も大丈夫になった事もあるんですよ。

そう言う、努力も大変大事だと私は思っている。

ある姉妹から「説教が分からなかったら、兄弟姉妹に『今日のメッセージは・・・・・・』と聞くような努力も必要だと思います」と言われました。まず、悪口ではなく、祈りでしょう。と、私は思いますが。

祈りは聞かれます。私達には、その時は分からないけれど、神様の時があるので、せっかく救いを頂いたのに、その喜びの土台は祈りの積み重ねだと私は思っています。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

|

2回目のアップです~

本当は、「サタン」について、書こうかと思ったけれど、2つの大きな辞典では、情報量が大きすぎて「これは、まとめるのは無理!」と判断。いつか、書ける自分になっているように願ってます。

。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚

さて、今朝も父の「ちい散歩」が終わったら、私の体力づくりの元となるフィットネスをやっている。(スペースがある程度必要なので)もう、新陳代謝が良い具合に身体がなるので、めちゃ汗をかく。

ストレッチ10分、メニュー22分、ストレッチ10分と私のペースで体力づくり。

でも、気持ちいいよぉ~。汗かくって。最低でも、1日のメニューをこなすと0.4キロ減はする。続ければ、ビリーズ・ブート何とか(忘れた)並になるだろう。「ビリー~」が何であんなに売れたのも、私はフィットネスでやっているので分かる。

運動はもちろんだけれど、そのコーチの作るメニューも素晴らしいというのもあるが。実はコーチの後ろで、インストラクターをやっている若くて麗しい女性の楽しそうな笑顔に背中を押されたような気持ちになったり、コーチの声かけ、コーチの元気さは必ず必要。

どこで休んで力をぬくか、全身の力を動きながら力をぬくか、後は、大事なのは「呼吸法」だ。「呼吸法」は、本当に一番と言っていいぐらい大切。

これは、外の雨季でも出来るし、あるお仕事に就いていた時、このメニューのストレッチは必ずやっていて、疲れがほとんどとれる。とても、助かった。

:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

人間は好きですが、(もちろん反対の人もいます)人間と言うよりも、サタンの働きの方が私自身強いです。サタンは、完全に私たちを、あらゆる手段でダメにしようとします。いわば「ダメ人間創造霊」です。

でも、FEBC放送の恵子さんの言葉を借りれば、「のらりくらりしている人にはサタンは働かないと思うのよね・・・・・・云々」は、私も昔から体験していることです。

もう、サタンはいざ!人が神様に向かおうと努力、励みだすと強力に働きます。これは、H教会(聖霊派教会)の信徒の守秘義務も守られない(それ以来私も気をつけてますが)教会でのことを書いている時に非常に働きました。専門家さんからは「あなたは、そのTV放送(キリスト系)での、そのカウンセラーに引っかかったのが、もう、こうなる原因だったね」と言われました。だから、もう、一切、キリスト系のTV番組は見ないです。

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

今、すごーく重要な文章を読んでいます。カウンセリングのお話ですが、一部公開(HPにあった文章なので)題名は『自己も他者もコントロールしようとする誘惑』「人間には自分の無力さに対する根強い恐怖心があります。牧師やカウンセラー、何らかの相談業務といった援助職に就いている人も例外ではありません。自分の時間と力を注ぎ込んだケアが徒労に終わったり、その努力が報われないと無力感に襲われて自分自身を喪失したかのような感覚にさらされます。ときに怒りの感情に翻弄されることも、援助職に携わった者なら何らかのかたちで経験していることです。

なぜ人は無力さにおびえるのか。それは自分が主体であり、他者は世界は自分が働きかける客体であるという揺るぎなき世界観があるからです。被援助者を救済する客体だと理解しているかぎり、その援助やケアは成果主義に陥りがちになります。それは最善の選択ををさせてあげたいという熱意によって強化され、結果として援助者が期待するような成果や結果を「強要」する思いに取り付かれるようになります。・・・・・・(後略)」

.。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。.

なーんか、医者も辛いだろうなあ~。今度行く時は、ちゃんと、ハローワークにも行ってるし、現に書類選考を書いたり、面接などもやっている事をちゃんと伝えるのが一番のDr.のストレスが少なくとも半減すると思います。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 病気ブログへ
にほんブログ村

|

シオンについて

昨日、このブログタイトルを何気につけたゴスペルシンガーの上原令子さんの曲から取った、「シオンの娘」を「聖書の達人2」で、どうゆう聖書的意味合いがあるのかと調べてみた。

後、J-BIBLE2008でもどんな箇所で使われているのかも新旧約聖書にて全部調べた。

ちなみに、J-BIBLE2008では、主に旧約に出てくるようである。(私の遠い昔、かつてアレルギーだった旧約である)旧約152回、新約では7回だそうだ。

また、J-BIBLEの結果を見ても、もの凄い「シオンの娘」とは神様の祝福のある言葉のようだ。J-BIBLEのAND検索で、知ったのだが。少なくとも自分の事を「シオンの娘」と私が思っていると勘違いされると困る。(^^;;;

まず「シオン」は、エルサレムの一部、もしくはエルサレム全体、時にはその住民を指す名称として聖書では特に旧約において、凄い使われ方をしている。(私の歴史のお勉強では)

(聖書辞書によると)「(前略)エブス人の町であったシオンの要害をダビデが攻略し、「ダビデの町」(ダビデ王国の首都)とした。ここが最初にシオンの丘と呼ばれた地である。

現在はオフェルの丘と呼ばれ、エルサレム意旧市街の南東、城壁の外にある。そのふもとにはギホンの泉がある。その後、上述のダビデの町の北にある丘(オフェルの丘に直接連なる)ににソロモンが神殿を建てた時から、この神殿の丘がシオンと呼ばれるようになった。

このシオンは「神の住まい」「聖なる山」などと呼ばれ、イスラエル人の敬愛の対象とされた。バビロン捕囚(理解不可能と言う人でも構わないです)から期間後、ここに第2神殿が建てられたが、紀元70年にローマ軍に破壊され、その後イスラム教の聖域とされて現代に至っている。旧市街の東側(城壁内)にあり、ケデロンの谷を隔ててオリーブ山に対している。

現在「シオンの丘」と呼ばれる地は、旧市街の西南(城壁外)にあり、最後の晩餐の2階座敷やダビデの墓、眠れるマリヤの教会などがあるので有名である。ここを「シオン」と呼ぶようになったのは、紀元4世紀頃からのキリスト教伝承による。

(中略)以上は純然たる地理的名称だが、このほかに比喩的もしくは象徴的呼称としてシオンが使われている例がある。エルサレム全体を指す場合、そしてエルサレムの住民が「シオンの娘」(注:だから、私が自身が「シオンの娘でない事は明らかです」)と呼ばれているのは、町を「母」と呼び、住民を「娘」と呼ぶ習慣からきている。

終末的祝福の源泉としての、理想化されたエルサレムを指す。新約においては前述の延長、完成の意味合いを含めて、天的エルサレムに結びつけられ、永遠の祝福の世界を表すように用いられている。(以上)」

ちょっと、怖いなあ~「シオンの娘」の聖書的意味合い。素晴らしすぎて。\(;゚∇゚)/名前負けしないと。(´Д`;≡;´Д`)アワアワ

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

兄ちゃんと昨日、電話でお話をしたが「お前のブログは隠して表記されている事柄が多くて分かんねーよ。だって、だいたい、お前の知ってる人だけだろー見てるのは」と言われた。(~ヘ~;)ウーン「まあ、私に躓く人が居ると困る」って言うのが凄く大きいので、しょうがなく「某」とか「○」とか使うんだけれど。逆効果か・・・・・・。

昨日は、Mちゃんが始め体調悪そうだったので「大丈夫か?」と思ったが、やはり、かなりの波がありそうな感じは、私ですら見て分かるのですから、浮上してあげるのをCBTの方々はお待ちくださいませ。それに、今日はMちゃんは彼氏とデートだそうで、調布の花火大会でも彼氏と一緒だそうです。

上手くいく事を願ってます。信仰もね。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

|

あなた達の

○○業界の私への歩み寄りのお気持ちは、分からなくもない。しかし、完全に私の体のストレッサーになっている以上、これ以上私に何を求めようとしているのかも把握出来ないと言うのが現実。(まあ、身体は正直だねぇ~)

だから、これ以上、私に歩み寄りの何かしらの態度をいくら見せたって、もう、無駄なエネルギーをあなた方が使うだけなので、ここまで見事に(少なくとも私にとっては)から回りだと、もう、お互い、益にならない事なのでいい加減止めません?・・・・・・と私は思いますが。

また、これとは別に個人的にも、もう、「HMに絶望した」(○○○○ E○○○○により)人間なんで、頑張ってくださいとしか言えないです。(さよならです)

これは、私個人の感性の問題なので、もう、しょうがないでしょう。これが私の精一杯の私が言える事です。

。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚

プロレスラーの三沢さんをバックドロップの技をかけた選手が今日、記者会見を涙ながらに自分の気持ちを告白しておられました。

でも、どんな格闘技にも事故や怪我はつきものです。もう、しょうがない。これだけの期間、その技をかけた選手は相当悩んでいたと、そして、気持ちの問題や自分を責めぬいていらっしゃったと思います。でも、あれはやはり私は事故と思います。

だから、その技をかけた方は、三沢さんのプロレスへの情熱や愛を受け継ぐことが、プロレス界の次に繋がる最大の三沢さんへの恩返しではないかと思われます。三沢さんだって、いつも、リングに上がる時もその危険を覚悟でプロレスをなさっていたのだと思います。

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

今週は、目一杯、予定が入っている。しかし、聖霊を悲しませないように祈りながら私は進むことは止めない。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

|

最近思うこと

教会の敷居は高いなんて、よく、聞いたがそんなこたーない。むしろ、こんなような考えを持ってるクリスチャンも居ると言うことはちょっと知ってもらいたい。

神様は、そんなに人間に「優等生」や「良い子」になって欲しいのか?と思う機会が多い。

イエス様だって100%人間、100%神様だったし、人間の身体の限界もあったであろうし、決して愛だけの神様ではなかった。厳しさも、正しい怒りもあった。(ちなみに私は旧約聖書の人間臭さが好きである)

私はクリスチャンの正しい見本になんてとてもじゃないけれどなりたくない。いや、それは私の性分でもない。まあ、長年人間でクリスチャンで生きていけば教会の分裂話なんかは普通に聞くし、ただ表に現れないだけで教会で傷を負っている人は、もう、いっぱいいる。

(こんな事書いちゃー異端だの言われそうだが)私はいつか「キリスト教終末新聞」なんて出てきて実は隠されている牧師の問題(カルト、虐待)や、「本当は牧師は辛いんです」と言うような本音や、また、考え方の違いからと言うだけで分裂や何かで犠牲になって泣いて去って行く人の現状が神様の最善の方法で暴いてくれないかと妄想する。(かなりの冗談ですが)教会の現状は知れば知るほど耳に入ってくる。

私が唯一、教会に行くのは、それが神様の御心だし、約束だし、それだけ。恵まれる以上には牧師にも、兄弟姉妹にも特に過剰に求めていない。神様以外のことは、意外と普通の無宗教の人が、学ぶ機会が最近は本当に多い。実際に必要となれば動いてくれて助けてくれるので、感謝の心でいっぱいだ。でも、やはり思い出すのは「主の山に備えあり」

私は、限りなく正しい99匹の羊ではないし、正しい放蕩息子の兄でもない。逆に迷いやすい1匹の羊であり、放蕩息子に近い者である。

まあ、でも、時々はね、「聖書」よりマンガ読んだり、音楽でぽや~ん゜.+:。(*´v`*)゜.+:。とする事も必要です。最近は、「ABBA」にハマっている。

まあ、こうして肩肘張らずに教会には行けること自体「アメイジング・グレイス」なんですが。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

|

『肝油を強要する』

(ある日のデボーションより)ヨハネ16:8~11『肝油を強要する』と言う題でのショートメッセージです。ちなみに、あのフィリップ・ヤンシー師も、このデボーションガイドに参加されています。

内容は・・・・・・「ペットの毛並みを健康でつややかにしようと、タラの肝油を買った人がいました。毎朝、犬の口をこじ開け、肝油を喉の奥へと流し込みました。犬はいやがりましたが、彼女は断固として続けました。

ところがある日、肝油の瓶を倒してしまい、こぼれた肝油をふき取ろうと犬から手を離しました。すると、犬は肝油のにおいを嗅いで、ぺろぺろと舐め始めたのです。実のところ、犬は肝油が大好きでした。ただ、無理やり押し込められることに抵抗していたのです。

キリストをのべ伝えるとき、同じようなことをしてしまいがちです。つまり、相手を動かなくして、つめ寄るように伝道するのです。福音を真剣に伝えたかったとしても、これでは逆効果です。ひとりよがりな熱心さは、反感を招きます。

私たちは福音を伝えるように召されていますが、相手の応答については責任を負っていません。その人に罪を認めさせるのは、私たちの仕事ではなく、聖霊の役割です。(ヨハネ16:8)

キリストの贖いについて話すときは、細心の注意を払いましょう。神や聖書のみことばが、その人に直接罪を示し、ご自分のもとに近づけてくださるように、静かに委ねるべきときを知りましょう。

『聖霊が罪を知らせ、キリストが罪をきよめられる』以上」

某教会に行った時、(現教会でない所)そこでは、聖霊の働きを彼らは「聖霊は名乗らない」と言って、自分でやってしまっていました。言い方を変えれば、聖霊の名においてなら何でもやっていいと同義になります。本来、父なる神やイエス様、聖霊の働きを人間がやってしまうと言う危うさを私は、そこの某教会で学びました。

本当に私にとっては、大切なデボーションガイドの一部を載せましたが。これには、本当に身をもって知っている者として、極力、注意をしています。現に聖書からもⅡテモテから2:22~23「それで、あなたは、若い時の情欲を避け、きよい心で主を呼び求める人たちとともに、義と信仰と愛と平和を追い求めなさい。愚かで、無知な思弁を避けなさい。それが争いのもとであることは、あなたが知っているとおりです。」と厳しいことを言われているのは確かです。

ちなみに、ヨハネの黙示録が今の通読箇所になっているが、難しい~~~。(´Д`;≡;´Д`)アワアワ でも、分かるのは3章に何回も出てくる「耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい」それを今は、肝に銘じて大事にしている。

...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。

聖日礼拝での、自分への恵みはきっとこのビシビシ厳しい世の中で「いざ!」バーン!と何かを突きつけられた時にも、、私の背中を押してくれたり、ストッパーにもなってくれると思ってます。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

|

昨日は

某会報が昨日届いた。精神疾患持ちであり、クリスチャンでもある全国の兄弟姉妹の信仰についてや、色々な事の意見やどこかで見つけた他人の意見も入っている記事もある。

でも、今回の会報で妙に個人的(私の感性)に引っかかる冒頭の文章があった。ある別の宗教を持っている文化人を名指しで、裁きはしていないが、何故、その文化人をその方の信仰のあり方で(キリスト教じゃないからと)批判されるのかが、どーしても私には腑に落ちない。その人は、その人の信仰に生きているのだから、それで、いいではないか。

その某文化人は、私は個人的にも面白く本を読ませていただいている。ハッキリ言ってその人の一文だけで、その人の人生を全て否定するような言動は、私個人は慎まなければならないと思っている。それに、その投稿された方は、悪意では少なくともないけれども、会報を読んでいる方、全員に某文化人の大事だと思われているものを書いているように、自分の恵まれた経験を自分の言葉で書くのならまだ分かるが、聖書をいきなり引き出すのは私個人はちょっと待って・・・・・・と言う感じだった。自分が大事なものは、他人も大事だし。宗教が違えど、キリスト教だって、現実見たり知ったらその投稿された方、きっと大きく失望するだろう。悪いが教会は罪人の集まりだ。

その投稿は「でも今、イエス様を選んで良かったなぁとつくづく思います」と書いてあったが、それを(恵まれた内容、体験、経験)、素直に自分で書けばいいわけじゃないか?と思う。あなたの信仰に、他人の価値観が入ることは私自身は理解出来ない。クリスチャンだけが、神様は愛されていると思うと危険だよ。

:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

うーん。このブログを始めて、2週間以上経つが、昨日、初めてコメントでスパムメールが来た。まあ、当然でしょう。名前出すと「美紀」。女性か、男性かも分からん。スパムの内容もかなり、危険性(下手するとPC壊されるからね)を含まれると思われたので削除を頼んだ。私は決して優しくない。ブログでは、私のありのままの本音と信仰の記録は続くと思うが、このブログで『伝道』しようかとか、そんな事は、出来ないと基本的には思っている。うちのDr.もインターネット大嫌いだしね。私もHPはかつて持っていたが、私のセキュリティーのハードルが下げられる事が多かったので止めて移動した。詳しい事は憶測なので言わない。

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

しかし、昨日のデボーション(夕)はキツかったなぁ~~~。(。>0<。)私は、デボーションガイドで、C・H・スポルジョン著「朝ごとに夕ごとに」を使っている。痛いのだこれが。あんまり公表するのもなんだが、あまりにも痛かったので一部参考までに紹介する。「(前略)私たちは、クリスチャンのすべての苦しみが、キリストとともなる苦しみであると結論すべきではない。なぜなら最も大切なことは、私たちが神によって苦難に召されているかどうかというところにあるからである。もし、無分別によって、摂理も恵みも及ばないような窮地に陥るならば、自分がイエスと交わりをもっているかということより、自分が罪を犯しているのではないかということを反省しなければならない。(後略)」もう、痛みが貫きましたね。(今でも痛い)まあ、でも、毎日、神様に色んな気付きを与えられます。突きつけられる。神様を私がすぐ忘れるからなんだと思うけれど。(;´д`)トホホ…

.。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。.

来週は、母教会のM姉とデートをします。やはり、私のマンガは「フルバ」で始まり「フルバ」で完結した感が非常にあります。「花より男子」も面白いんだけれど、やはり、マンガの世界である。まあ、人それぞれの価値観がありいいのですが。たまにはね。非現実の世界でぽや~ん(* ̄ー ̄*)とすることも大切です。「フルバ」は深層心理まで、いっちゃってるなあ~と。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

|

人は人を救えません

私は、毎朝、デボーションはしているが、現教会の牧師先生から勧められたのが「今日の知恵、明日の知恵」(著:羽鳥明師、注:聖書の中の箴言の学びです)である。今日は、大変感銘を受けた。羽鳥師がアメリカで神学を学ばれている時のエピソードである。羽鳥師はそれは、未だに忘れられないと言う。こうゆう、良い忘れられないを持っている人は決して多いものでもない人も居るかもしれない。でも、私はそういう人でも自信をもって「大丈夫」と言える。

羽鳥師の今日の文章を読んでいた箇所を紹介します。「私が米国の神学校で学んでいた時に聞いた、ある教授の告白を忘れることができません。その教授は七十歳に近い白髪の方でした。彼がまだ若い駆け出しの大学教授の頃、その大学に、一人の年取った牧師が来て全学生の前で話しました。愛に満ちた真実みのある彼の話に、学生たちは大きな感銘を受けました。でも、教養のないこの老牧師は、ところどころで、学問的に間違ったことを言ったのです。若い大学教師は、学生の前でこの老牧師の無教養をあばいて、老牧師を笑いものにしました。ところが家に帰ってから、良心のとがめを感じました。自分の心がみにくいごうまんなものかが分かったのです。彼は大決心をして、心からのおわびの手紙をこの老牧師に書きました。すると、しばらくして、返事が来ました。今も、それを宝物のように持っているとのことでしした。」

たった三行のお手紙でした。「チャールズ様  忘れられた状態で、いつまでも、許されます。あなたの愛する友ジェームス」と。私は、これを訳して本当に感銘を受けました。神様の前では、私達は「許された罪人」とよく母教会では言われていましたが、本当にこの文章からは、神様の許しと言うのは、底知れぬものだと畏敬の念を感じました。思い出すのは、人からは罵倒され、誤解され、それでも、「あなたの罪は許される」と(それしかなかったのかとも思ってしまう)十字架刑で、最大の屈辱を受けたイエス様を思います。あの十字架がなかったら、今の私はありません。この老牧師も、「教養面」だけで、大勢の人の前でしかも同志から裁かれ、笑いものにさせられました。でも、老牧師は、それを上回る神様の愛でおおっていたのです。それは、本当に素晴らしい事だと聖書に書いてあります。

:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

昨日、ハローワークに行って来て、私担当の方(女性)と45分ぐらいお話をしてきました。一番の私のミスはDr.にコンスタントにハローワークに行っていて、何回か書類選考して、面接していたことをまるっきりDr.に伝えてないから、Dr.があんなに「この人は、この一年は全く仕事関係の事はしてません」と「最悪」だとまで言われたのは、私のミスでしたね。そうでなければ、あんなには言わなかったと思います。正直、ここまで言われる人間を更にフォローしようとしてくれるお仕事関係のプロが私には3人もついていると言う事は本当に神様に感謝するしかないです。私のDr.はかなりの勘違いをされてましたが、宗教の事も担当の方は「あなたにとっては、それは、一本の真直ぐな柱なのね」と本当に理解してくださって、とっても有難かったです。本当に、クリスチャンでも、未信者さんでも、人間として大切な事って相手に伝えるのは、難しいのですが、自然にそういう捉えかたをしていただけたと言うのは大きかったですね。

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

まあ、仕事はコンスタントにハローワークと支援センターの方と平行してやっていきます。自分でも「よく、見捨てられないなあ~」と思いますよ。つくづく。でも、それでも、フォローしてくださるので、バランスとしては今は最高に良い状態にあります。支援センターの方も、この一年ずーっと、私の健康状態を見るために、ブログもチェックしてくれてますし、ジョブコーチからも「Dr.の言った事は、○○さん(私)の中では、落ちていると思います」(よく、心にストーンと来ると言いますが)と第三者のプロの目から見てもそう思われているのなら、本当に、本望です。やりがいがありますね。

お仕事は、来週からになりますが、諦めずに障害者枠で何とかやっていきます。

まあ、某バンドからは、良い感じでお別れしたいので、(お亡くなりになったファンの方にはビックリしましたが)あのー、本当に、あの方とは何でもない関係なので、安心なさってください。亡くなった方のご冥福を祈ります。つくづく、明日はわが身。そして、「人の生き死に」は神様しか分からないと思いました。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

|

ふとした一言が

私は、この世では「絶対」と言う言葉を使うことは、あまり、よろしくない事と思って反省している。この世界には「絶対」はあり得ない。全てが「相対的」で評価されたり、批判もされる。今回の事で学んだのは、言葉って言うのには、良くも悪くも他人にうつってしまうので、私自身も気をつけなければと戒めている。「絶対」が完全に適応出来ると言うのは神様だけだと私は思っている。

:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

HMは好きだが、趣味。あるアルバムのレビューで、某バンドは(HM系)青少年期の性衝動に似ていると評価されていたが、実に言い得て妙だと思った。現に私がやっていた昔のバンドでも、ボーカルが「私達がやっている事は、○ナ○ーだから、○E○しようよ」とまさに象徴的な事を言っていた。私も当時バンドでは「メンバーと気持ち良い事をやりたいんだ!」と主張していた。私は、その後、クリスチャンになるのだが、HMへの『情』というのは、神の愛『アガペー』にはとてもかなわないと思っている。HMの『情』と言うのは、興奮して、エキサイトして、気持ち良いことをやる心の衝動の『エロス』の愛とも思ったりしている。

.。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。.

今回「国民栄誉賞」を貰った、森光子さんは、なんと毎日スクワット(コレ、きついよ~)を毎日130回やっていると言う。89歳でも、あんなにお美しいのも『放浪記』の舞台のお陰と言うのが大きいと思う。『放浪記』は原作も大変面白く読ませていただいたが。『放浪記』は、あの「でんぐり返し」に対しての「国民栄誉賞」ではないかと感じている。

ちなみに、イチローは「国民栄誉賞」を2回辞退していると言う。私はイチローは、凄く買っているが、父曰く「イチローはまだ、自分が自分の課題にまだいっていない」と言う理由から「国民栄誉賞」を辞退しているそうだ。全く、その野球に対するプロ根性には脱帽だ。結果残せー4割打者!

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

昨日は昼に、久しぶりに二人のクリスチャン姉妹と連絡を取り合った。電話とチャット。しかし、チャットでは思わず涙が吹き出てしまった。何故かむしょうに話を聞いていて涙が出てきた。彼女は「ただ、がむしゃらにやってるだけです」とニコニコ顔文字を使っていた。彼女の理論思考には、1回ついていけなくて次の日ぶっ倒れた時があったが、今回のチャットでは電話でもそうだったけれど、神様から知らされた祈りの課題だと思って祈ろうと昨日からやっている。二人のMちゃんの事も、Sちゃんの事も。これからも、祈ろう。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「フィットネス」と「認知療法」

今日から「フィットネス」を再び再開した。もちろん、体力をつけるため。でも、始めから「ボクササイズ」なんてものは出来やしないのだから、もっと楽な「ストレッチ」から始める。「ストレッチ」も40分以上やらなければ、有酸素運動にならないので、2メニュー(1メニュー約22分)をやった。身体は正直。疲れて眠くてしょうがない。(A;´・ω・)アセアセ

でも、身体が気持ちよくなると言う事は、心にも良い事だとよく聞く。

「フィットネス」は過去、2メニューこなしていて、次に大きな川の橋を40分歩いていたときが、一番、体力があったようだ。その時、男友達と(もう、今は、すっかり有名になったので行くかー(^^;;;)高尾山を登ったけれど、男友達は帰りの電車の中では、こっくりこっくり眠そうでしたが、私はピンピンしていました。やはり、何事も体力勝負なのですよねぇ・・・・・・。

ちなみに、うちのDr.は「体力が一番底辺にあって、その上に気力や意欲ものっているから体力が落ちてくると、その上の気力、意欲なども落ちてくる」そうです。

:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

うちのDr.は「認知療法」です。それで、一般の最大公約数の「認知療法」とは何ぞや?とWikipediaをちょっと確認したところ、(まあ、長くなるのし、Dr.のお考えとも違うものも含まれていると思われるので)ちょっと引用します。「認知療法における認知とはたいていの場合「言語化された思考」を指す。(中略)人間は世界のありのままを観ているのではなく、その一部を抽出し、解釈し、帰属させているなど「認知」しているのであって、その認知には必ず個人差があり、客観的な世界そのものとは異なっている。それゆえ、誤解や思い込み、拡大解釈を含んだ結果、自らに不都合な認知をしてしまい、結果として様々な嫌な気分(怒り、悲しみ、混乱、抑うつ)が生じてくると仮定している。この不都合な認知⇒気分の流れを紙などに書いて把握すること、また、それらに別の観点を見つけるべく紙に書いて修正を試みる事が認知療法の根幹である。(後略)」

「言語化された思考」は、私が長く自分の心のカラクリに気付いた事であって、それが、文章化、言語化出来た事がいかに自分を凹ませないようになった土台にもなりました。実際、某聖霊派の教会(福音派と言いつつも)でマインドコントロールにかかりそうな時に、専門家さんから(カルト問題などの専門家)「辛いと思うけれど、それを文章にしてくれる?」と文章化したのが、とても、大きかったです。自分の家庭の事も、それで、文章にして、自分の中で整理しました。そうしたら、それ以降は、少しの波はあるけれども、Dr.にあそこまで言われても、Dr.に対しては何も感情は無いのは安定しているからでしょう。でも、Dr.には覚悟して欲しい。あれだけの事を言ったのなら、私もいざとなったら障害者年金使います。

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

昨日は、「ココログ」が障害を起こしていたので、見ていた方すみませんでした。夜にやっとアップ出来ました。

では、今日は、「ストレッチ」2メニューで疲れたので、横になりまーす。(_ _).。o○

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 病気ブログへ
にほんブログ村

|

« 2009年6月 | トップページ | 2009年8月 »