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神さまから問われていること

キリスト教には、聖書の中で良きサマリア人のたとえ話しがある。まずは、その箇所を紹介します。↓(ちなみに、聖書は新改訳聖書第3版です)

【新改訳改訂第3版】<Luk>

10:29 しかし彼は、自分の正しさを示そうとしてイエスに言った。「では、私の隣人とは、だれのことですか。」

10:30 イエスは答えて言われた。「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎ取り、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。

10:31 たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。

10:32 同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。

10:33 ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、

10:34 近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。

10:35 次の日、彼はデナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』

10:36 この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」

10:37 彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」(以上)

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何故、ここの箇所を紹介したのかと言うと。皆さんもそうかもしれませんが、ちょっと外出したり、電車に乗ったり、今日は図書館でしたが、見るからにホームレスの男性に出くわす回数が多いのです。

そして、家に帰ってから、もの凄く、『あの時に、倒れていた、世間の皆さんからも白い目で見られている人』と思うと、何で、駅員さんに助けを求めなかったのかと散々、後悔します。綺麗ごとに聞こえてしまうかもしれませんが。

一日は思いが残るかな。それだったら、何故、そういう肩身狭い人たちに哀れみを実際声をかけたりしないのか。

ちょっとじゃなく、半端無く反省してしまいます。

神さまが、私の中に働きかけてくだっさっているような気がするのです。

そりゃ、臭いだって私は苦手ですよ。

以前、身体の障害者さんと野球大会をやった時も、よだれは半端じゃないし、臭いは我慢の限界だったし。

祈って祈っていくつもりですが、どうも、神さまは私を成長させたいらしい。

特に、「マザーテレサ」のような事はとてもじゃないけれど、真似出来ないですが、小さな事かもしれませんが。

し、目の前に↑の聖句にある人や、たまに、外出してもし、そのような人が居たら、何らかの話しでも聞いたりしたいなあと思っています。

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こんな世の中だから、ホームレスの方々は汚く見がちですが、早朝、母は歩いているのですが、結構、多摩川べりでもホームレスのおじさん達が多いらしく、何の偏見も無い母は「皆、ホームレスの人を嫌がるけれど、話すと面白いわよ~」と言っている。

「信仰、希望、愛」を貫けるか。祈って祈ります。

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