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信仰と苦しみについて

現教会の1人の壮年の方の悩みを考えている。

求道者の方ですし、教会で交わりを比較的私と多くしている方です。

体の御病気がお辛いので、教会で神さまに癒してもらいたい・・・・・・と。

それで、私の何回かのアドバイスを本当に家に帰ってしてくれていてとっても嬉しい。

ヨブ記を勧めてみたのですが(あの難解な・・・・・・自分でもあんまり読んでいないのに(^^;;;と今は反省)読んだ感想とかも言ってくれたりする。

「ぶっちゃけ、わけの分からない苦しみはあるんですよ」ヨブ記みたいにと言いました。

マザー・テレサが凄いことを言っているんだけれど。

「苦しみそのものには価値はありません。

キリストと、その受難を分かち合えるものとなった時、

私たちの苦しみは、この世で最も貴い賜物になるのです」と。

現にこの不況の中、どう努力しても苦しんでいる人は沢山居ます。

また、自殺者も増加の一方だと・・・・・・。

そういう苦しみも、イエス様はどう思っていらっしゃるのかは、その御心に従って、時には失敗しながら、時には人から罵倒されながら、世から見捨てられながら・・・・・・知る辛さもあるでしょう。

でも、私が幸いだったと思えるのは、生まれついてこの感性があるがために、この病気(統合失調症)になったわけで。

病気も私は「自分の個性」だと思っています。

そう思えれば楽ですよ。(^・^)

マザーの言っていた「・・・・・・キリストと、その受難を分かち合えるものとなった時、

私たちの苦しみは、この世で最も貴い賜物になるのです」までは、

到達するには自分自身はまだまだだと思っています。

その「悟り」の境地は、あまりにも深いのです。

言い表せないですね。

でも、私達の苦しみって考えると、やはり、自分が生まれたままの罪にまみれた状態の「怒りの子」であったのを自覚したのが若くて、自分を変えることが比較的出来やすいし、それを激しく求めていた歳であった事も幸いでした。

今も、若輩者ですが。(^^;;;

聖書にも伝道の書で12章1節で「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ」は、真実だなあ~とつくづく思います。

色々、考えさせられます。

でも、私はあんまりカリスマチックな人や本、教えは避けています。

自分に合わないみたいなので。

八木重吉みたいな「素朴感」な信仰がとても好きです。

まだ、マザーの境地までには至らない私のとりなしのような詩を紹介します。

     「十字架」

十字架は 悔いへのくさびである

罪ふかくして悔いを完うし得ぬ者へのめぐみである

何人でも仰ぎさえすれば救わるるという約束である

基督を見し者が信じたる福音である  作:八木重吉

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凄いとりなしですよ。私にとっては。こんな信仰があれば・・・・・・。(p_q*)

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