心と体

身をもって

私は、クリスチャンでもあり、統合失調症の2級の病気持ちでもある。

その両方と20年近く、共に生きてきて、最近思うのは、やはり、自分が身をもって知らない事は、知ったことにならないと思うと言う事です。

病気一つとってもそうですよね。

今、父が苦しんでますが、父の苦しみは私にはとても「分かる」とか言えないんですよ。

父と同じ病気になって初めて父の苦しみが分かるのでしょう。

痛みもそうですね。

これは、何事にも適応出来ると思います。

よく「親の心子知らず」と言われますが。

これも、私が親になってみないと分からない心ですよね。

夫婦の愛もそうです。

私が、結婚していないと分からないものです。

たとえ、それを私が語ったとしても、やはり、空しい言葉になるでしょうね。

福音もそうなんですよね。

よく知識では、「良き訪れ」=「福音」とは言われますが、その「福音」に「生きる」と言う事の「内実」(昨日も書きましたが)が無いと恵みにならないような気がします。

どのように日常生活の中で、または、礼拝にて「イエス様」が「自分の思い」に対してどう、働かれるか。

どのように砕かれるか。

ご聖霊の働きは、昨日は、本当に大切だと思いました。

ご聖霊の働きは、真実であり、私は身をもって知りましたね・・・・・・。

ほっんとに、霊的な「リアルさ」なんですよ。

きっと、これから、私も社会に出て行く身ですから、そういう体験は今よりもっと沢山出てくると思います。

イエス様のあの十字架のお声は・・・・・・忘れません。

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病について

何らかの、精神疾患を持っている人にも「病気をオープンに話す人」と「病気を持っていることを秘密にしたい」と言う人がいると思います。

特に、どちらがどうと言うことではありません。

私の以前の友人では、比較的、私を含めてオープン型の人が多かったのですが。

オープンにするならするで、誤解されるのを承知で、自分を守る方法を自分なりに持つようにしている人が居ます。

例えば、女性の月のもののように、イライラする症状やヒステリーを持つ人は、「今日は病気で具合悪い」と分かると、奉仕で賛美リードする時、関わる全ての人に前もって「今日は病気でイライラしてるから」と前置きをしていたと言っていました。

前置きをして分かってもらってから賛美リードしておられるようです。

言い換えると後で謝りやすくなるというか・・・・・・。

:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

まあ、これは、私としてはちょっと悲しい響きの言葉でしたが。

母教会で「僕は交わりで自分をオープンにしすぎて傷ついてしまったんだ。

信仰、教会はそれ以来、僕と神さまの1対1のものだと思っている」と言っておられました。

。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚

病気をオープンにするにも自分をオープンにするにも、ひと工夫がそれぞれの人に必要だと思えます。

この人はここまでは許せる話しが出来るけれど、これ以上は、理解しずらい・・・・・・とか、また、どーしても自分はそこではゆずれない一線があったりもします。

難しいですね。人間関係は。でも、今までの経験では、『自分を理解されたいのなら、相手をも理解しようとする努力』はかなり必要だと思います。

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

でも、社会=世では、私は病気の事は秘密にしています。

T兄が「まだ統合失調症=キチガイと思っている人が多いものですから・・・・・・」と仰っていたように、面接でもよほどの事がない限りは秘密にしてきました。

トイレで薬を飲みながら働いていました。

本当は出来るだけ薬も別に悪いことをやっているわけではないので、コソコソしないで飲みたいものですが。

鬱の人が多くなってきて、うちのクリニックにもサラリーマンの方を見かけるようになりました。

そんな世の中、弱肉強食している時代の中で「さてどちらが正常なのだろう?」と考えさせられる事が多いです。

私も早く完ぺき主義(出来なかったことをクヨクヨする)から、ソコソコの60%ぐらいの余裕のある生き方が出来たらなあとつくづく思わされます。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

でも、母教会での青年での礼拝前の学び会にて執事が仰っていたのが、「昔の、バブルの時は、自分の力が10もっていたら、7ぐらいでも許してくれていたよ。

でも、今では、そんな事をしていたら怒られます。

10もっているのなら、12ぐらい自分以上を求められる時代になっています」と仰っていたことを思い出しています。

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涙の作用(2つ目アップ)

涙は流すととっても良いと言う。

Dr.が私が失恋した時のアドバイスで「泣きなさい。結婚まで、考えていたのだから、付き合っていた時間の倍かかるけれど、涙が記憶を洗い流すんだよ。泣きなさい」と言っていて、その通りに1年間泣いて今では、「ああ、あんな人いたな」としか思っていない。

病気になって、初めは色んな事が重なって、自分で処理出来なくなって神経衰弱と統合失調症になった。

私は病気に表情を奪われ。

毎日、生きる事の最低限の力さえ奪われて。

涙すら出なかった。

夢を目指してプロミュージシャンに憧れていた頃は、めちゃくちゃ良いLIVEで嬉し泣きも少なくなかった。

確かに、音楽は温かいものをくれていた。

でも、イエス様によって、救われた今は、イエス様のみ愛に感動して、聖霊が働くから、自然に涙がポロポロと出る。o(;△;)o

腹の底からこみ上げてくるものが教会にはある。

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

今日から必要を感じると共に、木村 藍さん著「うつからの贈りもの 傷つきやすいあなたへ」から文章を紹介したいと思う。

「かなしみの部屋へようこそ」

うつの流した涙が 

心の中に小さな部屋をつくりました。

かなしみの部屋にようこそ。

おもいっきり泣いてください。

おもいっきり叫んでください。

怒りも、恨みも、憎しみも、愚痴も、

すべて吐き出してください。

わたしのもっているかなしみが、

そっとあなたを包むでしょう。

心ゆくまで泣いてください。

あなた自身にもどってください。

そして、もうこれ以上泣けないと思うほど泣いたころ、

あなたの心の中にも小さなかなしみの部屋ができていて、

だれかを待っているでしょう。(以上)

...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。

ここの「ブログ村」に来て、何日しか経ってないけれど、ここで、「モラルハラスメント」と言う言葉に出逢った。

私は、ある教会で夫のDV、変態、発言などで苦しんで泣いている女性を最低10人は知っている。

スモールグループと言うところだったが、彼女達は毎日泣いている。

その中にも「何で殴るの!私を何で殴っていいの!」と泣いていた彼女は、恐らく、「モラルハラスメント」も相当受けたんじゃないかと推測する。

(ごめんなさい。私は未婚で、妻とか母親の気持ちが分からない人です。でも、世の中の主婦の皆さんは基本的に「偉い!」と尊敬しています)

いわゆる「パワー・ハラスメント」とは違うのでしょうか・・・・・・。

図書館で、今日、「モラル・ハラスメント」の本を3冊予約した。

少しは、「モラ・ハラ」で苦しんでいる人たちを理解したいと思ったのです。

きれい事じゃなくて。

ネットでは、情報交換ぐらいしか出来ないけれど、何故か、どんなにお辛いかを理解したい。私が見てきた最低10人の毎日泣いている女性達のためにも。

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大切なこと

これは、私にとって、非常に大切な事と思われた「自己も他者もコントロールしようとする誘惑」という題名で、日本聖書神学校講師・豊島岡教会牧師 高橋克樹師の論文を書きます。

人間には自分の無力さに対する根強い恐怖心があります。牧師やカウンセラー、何らかの相談業務といった援助職に就いている人も例外ではありません。自分の時間と力を注ぎ込んだケアが徒労に終わったり、その努力が報われないと無力感に襲われて自分自身を喪失したかのような感覚にさらされます。ときに怒りの感情に翻弄されることも、援助職に携わった者なら何らかのかたちで経験していることです。

 なぜ人は無力さにおびえるのか。それは自分が主体であり、他者や世界は自分が働きかける客体であるという揺るぎなき世界観があるからです。被援助者を救済する客体だと理解しているかぎり、その援助やケアは成果主義に陥りがちになります。それは最善の選択をさせてあげたいという熱意によって強化され、結果として援助者が期待するような成果や結果を「強要」する思いに取りつかれるようになります。

 10年ほど前、このことで私には苦い経験があります。依存症という病を持つ男性教会員と6年間毎日関わる生活をしたときのことです。最後は急性腎不全で41歳の生涯を閉じたのですが、その彼とは毎朝会う生活を続けました。生活保護の申請に私も助力をし、役所と本人の了解を得て生活費を預かり毎日分割して手渡していました。その際に前日の生活の様子を聞き、その日の予定を確認し、生活一般へのアドバイスをします。若い時に不法薬物に手を染めていたことと金銭管理ができないので、父親は1日700円というぎりぎりの生活費を仕送りし、それで生活をしていました。父親が癌で死亡したのちは生活に窮したので、生活保護を受けました。ただ1日3000円ほどは渡せるはずなのですが、消費者金融から隠れて借金をして100万円の返済をすることになったり、渡したお金を紛失したり、習慣性のある一本800円の咳止めドリンクを何本も飲んで食費にさえ窮したりして、その後始末に私はしばしば奔走しました。礼拝には比較的まじめに出席していたので、教会員との関わりは維持されていて、何度かの危機的状況にも教会全体で忍耐強く関わることができました。

 最初の2年間ほどは、どうにかして彼の生活を建て直そうと精神障碍のディケア施設も幾度か一緒に行ってみました。彼の担当医である著名な精神科医からはお叱りの手紙をいただきました。牧師が治療に介入していると感じたのでしょう。「彼は怠けているだけだ。私の指示通りにして下さい」という文面でした。その先生も治療の結果が出ないことに苛立ち、別の医師を紹介してきて彼との関係を切りました。私も次から次へと解決しなければならない問題が生じてくることに徒労感を覚えていたので、その医師の気持ちは了解できました。

 ところが、そのことが逆に援助する者と援助される者という彼との関係性をもう一度見直すきっかけを与えてくれたのです。そこでわかったことは、意志はあっても病ゆえに「できない」という無力感に打ちのめされ続けて、荒涼とした心象風景を持つ彼に、私が恐れを感じているという事実でした。治る見通しが立たないことにも苛立っていました。私は彼の可能性をすでに信じない人間になっていたのです。

 援助する者がいくら親身になっても、苦難の人の身代わりにはなれません。にもかかわらず、私は何の苦労もなく「できる」側にいて、「できる」「できない」という価値基準で彼のことを判断していたのです。相手を信じないのにケアをしていた私は、結局は自分の無力さを認めることを恐れていたのでした。これは牧師としてはとても辛い自分自身への問いでした。ただ、不思議なことに、この気づきがあってから肩の力を抜いて関わるようになりました。

 「援助者の危険としての力」という副題はG・クレイグの邦訳『心理療法の光と影』の原題から借用したものです。その内容はケアに潜む「力の行使」という誘惑についてです。人を助けたいという援助者の心の奥底には、同時に全く正反対の思いがあることを自覚しておく必要があるという指摘です。人のために助力したいという心情は愛の発露だけではない。相手を支配したり力を奪いたいという隠れた喜びや欲望があるというのです。特に道徳的な正しさというマントを着ているとき、人は「良い」と信じていることを無慈悲な手段で行うことに罪意識すら感じることがないという指摘は、彼のことで嫌気がさしていた私への問いかけとなりました。人間には「力への渇望」が無意識のうちにもあります。牧師をはじめとして援助職にある人間も、ケアというかたちで自分の力を行使し、成果を上げることで自分の存在を確認しているところがあることに注意したいものです。以上のことは、他者に対するコントロールの誘惑の問題です。

 さて、援助職に関わるもう一つの誘惑は、自分に対するコントロールの誘惑です。最近感情労働ということが言われるようになりました。自分の感情を加工して、相手の期待に添うような感情を自分の中に作り出す労働のことです。特に牧師は信徒の方が好印象を感じるように、その場にふさわしい感情を無意識に演出するところがあります。悲しい話を聴いているときに、悲しい感情反応をすることは当たり前ですが、その際に「このように感じるべきだ」という感情管理をして、実際に感じている自分とのズレを補正して隠蔽するところが援助職に従事している者にはどこかあります。
 

 たとえば、優しい牧師に見えるようになるためには、外面だけでなく感情をそれに合わせて演出するようになります。感情が伴わなければ自分自身を偽ることになるからです。だから、ますます自分の感情を自己演出するなかで、最終的には「偽りの自己」を作ることになります。この感情労働の積み重ねがやがて燃え尽き症候群なる状態を招くのではないでしょうか。もちろん、どのような仕事にもある程度の感情労働はあります。しかし、信徒や被援助者の方に対して援助者が印象操作をしている部分があることに気づいていることは、援助をしていく上で大切な自覚だと思います。自己と他者に対するコントロールの誘惑は援助者にとって常に問われている課題だと思います。以上(C・C・CのHPより)

。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚

私は思いっきり、この文章に関して思い当たる事が多いです。自分がいくら、精神的な病を勉強したからと言って、「この人を何とかしてあげよう」と思ったり、そういう時は×なんですよ。

相手の人生を自分は負えませんし、神さまはそういうようには、人間を造られていないと思います。でも、「受け入れない」で「強要」しちゃうんですよ。この文章を読んで「これは、私自身、気をつけなければ!」と思いました。

自分まで、コントロールしようとするって恐いですね。共依存でしょうか。私は援助者でも何でもないのですが、そう言う人でも、危険が多いにあると少なくとも、自分の最善が援助者の最善とは限らないとは、充分、分かります。

最善やストレスは本人が身をもって分かる事なのですよね。

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

この間のブログで私が死ぬ前に、一度、とことんまで話をしてみたいと思っているのは、「伊藤政則」さんだと言いましたが、訳があります。

元Voがよく政則さんとRockの話をしていたと言う事もあるし、「政則さんが、雑誌などで自分で好きなアーティストを選ばないで、音楽評論家の言う事を鵜呑みしたようなアーティストの選び方をする人間(ファン)は俺は大嫌いだ」とか言っていたそうです。

後、これが、決定的だったのですが、ある川崎クラブチッタでの(すみません。誰か忘れました)某バンドのLIVEをバンドのメンバーで行ったのですが、私はどーしても、バンドの問題が大きくてLIVEが始まる前まで、メンバーに私の考えを説得してました。

その時の、様子をクラブチッタのドアからずーっと見ていたのが「伊藤政則」さんでした。恐らく本人は覚えていらっしゃらないでしょう。

それが、決定的だったかな。でも、まあ、外タレHMはもういいので、OUTRAGEを是非サポートして下さい。

私も、OUTRAGEのLIVEの日、晴れる事を祈ります。私行かなくて良かったかも。私は「雨女」なのです。(^^;;;

LIVEの成功を祝える事を祈ります。

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雨だね   (本日2本目)

われわれの病気は、決して悪いもんじゃないって思う。責任問題じゃないから。

自責しなくていい。

大きいか小さいかは分からない個人差があるけれど、病気の波が来たら「ああ、今私は薬を飲んでいても病気さんには身体を休めた方がいいと言ってるんだ」と思うと楽になりません?

そんな、何も、出来ない自分を、神さまはもちろん、私たちが何より自分を許してあげなきゃいけない。

そうやって、長年病気さんと付き合って、Dr.や処方箋と一緒に病気さんと仲良く付き合う方法を考えられたら、幸せになれませんか?あなたは、人の痛まないところで、痛みを感じると言う素晴らしい感性の持ち主なんですよ。

私も波には、抵抗しがちで、無理しがちで愚かです。でも、最近、獅子が子どもを谷底にわざと落とすような精神状態を訓練してくれる方々が居ます。(母曰く(^-^;

ジョブコーチと話し合って、そのストレスの自分にかかる負荷を把握するため、この間は、ジョブコーチがいつになく男性っぽい社会の厳しさを象徴するような、発言や態度に正直「ちょっと失礼じゃない?」とか思ったんですが、その次の日のブログを見てジョブコーチが「良かったです」と「それが目的でした」と。(@Д@;

わざと、そういう態度を取っていた事を私が身をもって知るために、「種明かしをするようで、悪いけれど、ああゆう大事な事を分からせるために、アプローチの仕方もあるんですよ」と・・・・・・。

「うおー深い」としか言葉が出ず。ジョブコーチ役者になれますよ。(冗談(^-^;

そんな、素敵な人たちが、こっちに頑張る気があれば、協力してくださると。(勘違いしていたらメール下さい)

決して私の努力でもないし、いつの間にか、女性のジョブコーチが一人増えましたが、神さまが「主の山に備えあり」で、やってくれているとしか思えません。

また、病気が発症しないためには、まず自分をよーく知る事が大切なのでしょう。

どうゆうところで、負荷がかかるか、嫌だと思ったか、何がストレッサーだったか。

ジョブコーチ「何があの時、嫌だなと感じた?」と。

私は正直に「書類をバサっと置いた時とか・・・・・・」「眠ってるんだか、人の話を聞いているんだか・・・・・・」と。

「それが、ストレスだよ」と。

凄い鍛え方があるんだなあ~~~。育てるって大変なのに。本当にお疲れ様です。(;´д`)トホホ…

診察にまで、ジョブコーチは「病気を詳しく知りたい」との事で来てくれました。

ちなみに、ジョブコーチ。調剤の女性は、「この間の人、誰なの?」( ̄ー ̄)ニヤリ だったので「私のジョブコーチですよ」と言ったのに、「恋人」と勘違いされたか・・・・・・と。

私は、ジョブコーチが既婚者かも知らないのに。それは、無いでしょう。

:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

そして、昨日は、三浦光世さんから、お返事のお葉書が。(o^-^o)

(水野源三さんの詩に私が絵をつけたものを送りました)

「お手紙拝見いたしました。どの絵も、見事ですね。何年絵を習われてたのですか。」と私の身体をいたわる、(お歳から言ったら本当は私の方が、光世さんをいたわらなければいけないのに)内容のお手紙でした。

お返事をまた、返そうとテープを作ってました。私には人ごとに思えない「戦争」や「明日がない」人達の事実。

恐らく青春時期に私がその「何で、自分はこんなに悪く心が醜いのに生きなければいけないのか?」=(当時の私には明日が無かった)「明日がない」と思いっきりすさまじく神さまに問うて、ぶつけていた経験からも大きいと思います。

だから、「人間の命の」尊厳」に関わる事には、ものすごい興味があります。

まあ、逆に言うとクリスチャンの視点から「では、明日を生きるためには、どうすればいいか?」に変わったのです。

より良い今を出来るだけ生きて、祈って、神さまにたまには文句を言って。(何故、あの父が苦しんで、私が苦しまないの?とか)

精一杯、毎日を生きる。そう言う姿勢を与えられたのは、神さまであって、聖日礼拝が楽しみでしょうがないのは、神さまの御心だからでしょうね。

来週は、ランチがあり、残って牧師が「カルト・マインドコントロール問題について」お話をするそうなので、調子が良かったら残って聴いて帰りたいです。

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

父が・・・・・・とても、心配です。でも、これも、最善だからと信じて、生きて欲しい。まだ、父のこの世での役割はあるはず。

光世先生にも、父のお祈りを頼んでいます。

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「フィットネス」と「認知療法」

今日から「フィットネス」を再び再開した。もちろん、体力をつけるため。でも、始めから「ボクササイズ」なんてものは出来やしないのだから、もっと楽な「ストレッチ」から始める。「ストレッチ」も40分以上やらなければ、有酸素運動にならないので、2メニュー(1メニュー約22分)をやった。身体は正直。疲れて眠くてしょうがない。(A;´・ω・)アセアセ

でも、身体が気持ちよくなると言う事は、心にも良い事だとよく聞く。

「フィットネス」は過去、2メニューこなしていて、次に大きな川の橋を40分歩いていたときが、一番、体力があったようだ。その時、男友達と(もう、今は、すっかり有名になったので行くかー(^^;;;)高尾山を登ったけれど、男友達は帰りの電車の中では、こっくりこっくり眠そうでしたが、私はピンピンしていました。やはり、何事も体力勝負なのですよねぇ・・・・・・。

ちなみに、うちのDr.は「体力が一番底辺にあって、その上に気力や意欲ものっているから体力が落ちてくると、その上の気力、意欲なども落ちてくる」そうです。

:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

うちのDr.は「認知療法」です。それで、一般の最大公約数の「認知療法」とは何ぞや?とWikipediaをちょっと確認したところ、(まあ、長くなるのし、Dr.のお考えとも違うものも含まれていると思われるので)ちょっと引用します。「認知療法における認知とはたいていの場合「言語化された思考」を指す。(中略)人間は世界のありのままを観ているのではなく、その一部を抽出し、解釈し、帰属させているなど「認知」しているのであって、その認知には必ず個人差があり、客観的な世界そのものとは異なっている。それゆえ、誤解や思い込み、拡大解釈を含んだ結果、自らに不都合な認知をしてしまい、結果として様々な嫌な気分(怒り、悲しみ、混乱、抑うつ)が生じてくると仮定している。この不都合な認知⇒気分の流れを紙などに書いて把握すること、また、それらに別の観点を見つけるべく紙に書いて修正を試みる事が認知療法の根幹である。(後略)」

「言語化された思考」は、私が長く自分の心のカラクリに気付いた事であって、それが、文章化、言語化出来た事がいかに自分を凹ませないようになった土台にもなりました。実際、某聖霊派の教会(福音派と言いつつも)でマインドコントロールにかかりそうな時に、専門家さんから(カルト問題などの専門家)「辛いと思うけれど、それを文章にしてくれる?」と文章化したのが、とても、大きかったです。自分の家庭の事も、それで、文章にして、自分の中で整理しました。そうしたら、それ以降は、少しの波はあるけれども、Dr.にあそこまで言われても、Dr.に対しては何も感情は無いのは安定しているからでしょう。でも、Dr.には覚悟して欲しい。あれだけの事を言ったのなら、私もいざとなったら障害者年金使います。

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

昨日は、「ココログ」が障害を起こしていたので、見ていた方すみませんでした。夜にやっとアップ出来ました。

では、今日は、「ストレッチ」2メニューで疲れたので、横になりまーす。(_ _).。o○

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