日記・コラム・つぶやき

夢一穂さま(幼なじみのKちゃんへ)

皆さんは、「夢一穂」という詩人を知っておられるだろうか。彼女は、以前、神学生になるまでの熱心なクリスチャンでした。

でも、私が分からない所で、2度目の統合失調症を発病し、「2度目の発病は、キツイから気をつけてね」と電話で言ってくれていた。

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Kちゃんは、幼なじみだった。私は小6の時にこっちに引っ越しをしてきて、Kちゃんとは同じクラスだが特別仲がが良かった訳でもなく、私は私で他の友達のグループにいた。

中学に入って、Kちゃんと同じ軟式テニスのクラブ活動に入った。

Kちゃんは、その頃から、小説を書いていて、みんなで回し読みをしたのを覚えている。

小説家を目指して頑張っていた。(好きな人も居たよね♪先輩で小説に登場していたけれど(^^;

でも、やはり中学でも、同じ仲間というよりは、同じクラブ仲間で終わってしまった。

高校生になってからは、バラバラになったけれど、あんまり彼女との記憶がない。

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そして、ビックリしたのが、現教会ではなく、私が教会を探していて、色んな教会に行っていた時で、母教会での特別伝道集会で、(ちょっとメッセージは内容がよく分からなかったが)終わりに私に伝道師が個人伝道をしてくださって、「救いの決心」は出来た。

そして、「○○(私の本名)さんは、『救いの決心をしました』」とアナウンスされ、母はその宣教師(講師)と議論していて、私には、そっと後ろから「あの・・・・・・○○さんって、もしかしたら、私と同じクラブに入っていた○○さん?」と聞かれ、顔を見たら、もう、こっちはビックリで・・・・・・。!!(゚ロ゚屮)屮

それからは、Kちゃんべったりで教会生活が、始まったけれど。ここの教会で、昔の仲間と会えるなんて想像もしていなかった。

Kちゃんは、その時、神学生になっていた。母教会のどのイベントにも顔を必ず出すと言う熱心さがあった。

後々に聞いたのですが、Kちゃんは祈っていたらしい「市内で、私が主を伝えられる知り合いが居たら与えて下さい」と。

そして、私はその祈りの実だった。

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

彼女は、今、恐らく全く教会には行っていないようだ。

でも、教会を離れても詩を通しての忙しいながら作った彼女の詩は結構良い詩が多い。

是非、Kちゃんのペンネーム「夢一穂」の作品を読んでみてください。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

母教会では、Kちゃんの本を、ある姉妹に託して私が「自由に貸してあげて」と母教会の姉妹に頼んだ。

kちゃんは、統合失調症には本当に苦しんだらしい。本も読めない。TVも見れない。何にも出来ないと。。。

kちゃんは、今、どこの教会にも行ってなくて、お父様が社長をやっている会社の事務員で頑張って働いています。すこぶる、元気。(^-^)

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Kちゃんは、2度目に発症した時は、家族が全てKちゃんをバックアップした。

遠くで、働いていたお兄さん(?だったと思います)も「Kがそんな状態になっている」と聞いてわざわざ、東京へ来てくれたそうだ。

Kちゃんは、そのような事を教えてくれて「今、私凄く平安なの」と言っていた。

本当に熱心で真面目だったから、反対の事が起きた時に、もしかしたらその熱心が「あだ」になったかなあ~と思った。

私なんて、前は牧師にも「あんまり、知らない分野の事を説教で勉強もロクにしてないのに語るのはどうかと思う」とバシッと言ってしまう人なので。。。

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Kちゃんは、今、とってもお元気だと思われます。詩もかなり書いていると思います。「夢一穂」で検索かけたら、出てくるかも。

今まで、出版社から「夢一穂さんの詩はうちのニーズに合っているので」と本が2冊出ている。

今は、入手可能かは分かりませんが、良い詩の集まりですよ。(*^-^)

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

「夢一穂」さん、CBTの牧師婦人が「何て素晴らしい詩なの!」と仰られていました。

でも、また、教会で会いたいな。Kちゃんは、結婚したかな?

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諦めない限り(本日2回目アップ)

自殺未遂で、こんな細い手首に9針の大きな傷を負った過去のある私。

統合失調症で、40日間、何故か開放だったけれど過呼吸で入院した私。

「音楽は人を裏切らない」と信じて人を人として扱わなかった私。

宗教を信じる人を否定していた私。

最終的には、音楽にも人にも挫折して、病気になり、ずーっと6年間引きこもっていた私。

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当時の詩「緑色の小さい虫がいた 指の上でつぶそうと思ったら ピンッと逃げた その手ごたえに 私はこの虫ほど 生きようという気が ないと思った」'96.7.31

こんなにも、生きる力を病気で根こそぎ奪われたのは、さすがに辛かったよ。

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今の私は病気を肯定している。オープンな人間に憧れる。そりゃ、そうなるには二十年ぐらいかかったかな。

でも、お辛い中に居る方々、辛いけれど諦めないで。自分を責めないで。いつか、きっと楽になるから。病気とのお付き合いの仕方が、分かるまでは皆さん苦しいでしょう。

私もそうだったから。私の場合はイエス様によって、教会で受け入れられ、男性恐怖症、視線恐怖症、雑音恐怖症、人間恐怖症が治った人です。

でもね。病気は色んな事を教えてくれたよ。

...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。

この詩「病まなければ」の通りに生きて(生かされて)きました。

   病まなければ ささげ得ない祈りがある 

   病まなければ 信じ得ない奇跡がある

   病まなければ 聞き得ない御言葉がある

   病まなければ 近づき得ない聖所がある

   病まなければ 仰ぎ得ない御顔がある

   おお 病まなければ 私は 人間でさえもあり得ない 

   作:河野進

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でも、一つ言っておきます。「病気」を嫌う教会や「来てください、癒します」と言うような発言をする教会は危険です。病気が更に悪くなる可能性が高いです。

人それぞれの導かれ方は、私には、分かりませんが、本当の「福音」に触れると変わります。

私も、色々な所を神さまは通らせられて、何人かの人に「元気になったわねー」「別人だよ。身体の動きもテキパキしてる」(←内科医に言われた)と言われるようになった。

今も、もちろん統合失調症だけれど、薬で治るので、朝から「うるさい」と家族から言われます。あんなに、朝は苦手だったのに。

皆さん、安全で楽になれるようなイエス様の導きがありますように祈ります。

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母教会であった事

行っている教会は違えど、何かイベント的なものがあると、必ず、誘ってくれる姉妹が居る。彼女のそう言う気配りは、やはり、彼女が学んでの配慮であると言える。

その彼女から「花火大会が立川であるんだけれど・・・・・・兄ちゃんの家にも寄るし・・・・・・一緒に行かない?」と言う内容だった。嬉しいのだけれど、花火があんまり好きじゃないのと、人ごみがダメな私は、お気持ちだけもらいますと言おうと思ってます。

彼女が何故、必ずと言っていいほど、そういうお誘いをダメでもしてくれるのは、彼女自身の経験から来ている。

ちょっと、母教会での青年の交わり会にて、彼女は言いだしっぺの姉妹から誘われなかったらしい。そして、凄く、気分を害したと言う。彼女は、その姉妹に「一言でも、いいのに、自分の人選で勝手に誘わないって、どんなにその人を嫌な気分にさせられるか分かる?」とハッキリと怒って言ったそうだ。

それは、私は彼女の正しい判断だし、言動だと思う。前にも、母教会での、その言いだしっぺさんで悶着あった。その時は、兄弟だった。やはり、同じく、青年の交わり会に、彼女の人選で(好き嫌いが基準)行けなかった兄弟が居た。

お昼に青年たちが集まっている時に、その行けなかった兄弟が「正直、俺を嫌っているから誘わないって、頭にきてる・・・・・・云々」との本音。私もその場に居ましたが。N兄弟が「そういう、発言はこの場ではふさわしくないのでは?」とも言っていた。

でも、K兄弟の一声で「現に、嫌な気分を味わっている兄弟が居るのだから、それは、大切な気持ちなんだから、これを機会に話し合おう」と言った。

それで、皆で、その言いだしっぺ姉妹は不在だったが、真剣に話し合っていたことは覚えている。それで、N兄弟も「こんなに、皆が、青年の事を考えている事を感じられて嬉しい」と言っていた。

教会は本音で話せる所じゃないと、福音の意味もなくなるし、第一私は「つまんねー」と思う。

まあ、人間関係はどこにでもあるが、(社会でもそうですが)せめて教会では、度を越すような事は控えた方が良さそうです。非難の対象になってしまうし、自分が非常に損を招くと言うか、可哀想だ。

せっかく、少なくとも同じ志での教会なのだから、時々、徹底して思いっきり話し合うのも、益だと思う。悪口の言い合いじゃないから。それは、とっても、良い事。o(*^▽^*)o

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偶然、私の牧師のブログを見て「ブログ村」を知ったのだけれど、こんなに、皆、真剣に病気の事、自分の事、他人、家族、友人の事、諸々考えているのかーと非常に興味深く色んなジャンルを暇にまかせて読んでいる。(^^;;;

でも、こんな季節がら、体力を奪われる方、多いと思います。お体にお気をつけて。そして、今日も精一杯生きましょう。

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最後に、のほほ~んとした話題を・・・・・・。(^・^)

        「めだかにも」

我が家では、「ひめめだか」と言うめだかを3匹飼っている。大きくならないし母が飼いだしたので、初めは私には興味のない我が家の生き物だった。

でも、しばらくすると初めは5匹いたのに1匹、2匹と死んで残ったのは現在3匹だ。飼いだした当時は興味がなかった私だが、玄関に置いてある3匹のめだかの前を通るたびに見るようになって発見したことがある。

この3匹の中で、2匹はカップルになっている。いつも2匹寄り添っている。この2匹は性格も似たもの同士で音や人に敏感で元気だ。

もう1匹はマイペースというか音にも人にも反応が鈍い。(^^;;; この1匹のために母は「可哀想だからもう3匹ぐらい買ってこようか」と言っている。

本人は孤独なのだろうか?それとも1匹が好きなのだろうか?

それと、2匹のうちメスなんでしょうね。卵がお腹の中にあるようです。母は卵を産んでくれたらよいねぇ~と言っています。めだかの学校ですよ。あの小さな水槽の中でもロマンスが・・・・・・。(^0^*オッホホ

いや~ひめめだかを飼っていて思うのですが、神さまは、こんな小さな生き物にもちゃんと性格や個性を与えられていて、凄い、御業だなあ~とつくづく思わされます。

身長2cmにも満たない生き物ですが、めだかでも恋をしたり、マイペースだったりと個性にあふれています。

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教会にて(2回目アップ)

今日は、「聖餐式」でした。やはり、「聖餐式」は、イエス様がご自分の十字架刑の前に、どうしても弟子達に身をもってイエス様を知ると言うメッセージが籠められた、とても、神聖なものです。

実は、母教会での「聖餐式」では、一回も、何の感情も気持ちもイエス様の事でさえ思ったことが無かった。

現教会にて、「聖餐式」で泣いたのは、2回目。今回も「聖餐式」の後の賛美で、泣きました。(´Д⊂グスン

心の奥底から、出てこみ上げてくるものがあります。言葉にすると一言「イエス様、ごめんなさい!」。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

私達は、究極的にはイエス様には「ごめんなさい」と「有り難う御座います」と言う言葉しか、自分を絞り出すと出てこないのではないか?と思われるほどです。

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今日、交わった婦人と意気投合したのですが、全く、育った環境の違う婦人と私です。

婦人はクリスチャンホームで、私はアブノーマルな「放蕩娘」で育ち。

でも、一致して言っていたのは「クリスチャンって意外と、正しいクリスチャンとは真反対の人生を歩んできた人がならないー?」と。

だって、ミッションバラバなんてヤクザだよー。(o^-^o)「親分はイエスさま」で頑張っている。

教会はよく、ヤクザの世界と似てると言われるそうだ。「悪い人が行く所」( ̄ー+ ̄)

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「心の一新によって変えなさい」(ロマ12:1~2)

(1節)そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。(2節)この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

今日の礼拝では、「KY」のお話と「秀吉」のお話でした。メモで書きとめたものを書きますと・・・・・・。

「KY」とは、空気が読めないという意味ではあるが、今世間では色んな意味でマイナスの場面で使われるそうだ。今の子供たちは「KY」を恐れているのではないか。それは、その子供の成長が難しくなる。失敗してもいいから、自分の言葉で自信を持って欲しい。「KY」とは自分を押し込めて、相手に無理に合わせることではないか。2節の「この世と調子を合わせてはいけない」日本人は、その世界に自分を合わせやすい。

心の一新によってでないと、2節を言動を伴って出来ない。肉体を持って自分を変えなさい。それぐらい具体的に自分を変えなさいと言う事だ。すでに、救いは罪の赦しがあるから、私達は変わるはず。だが、なかなか意外と変わらないのが現実ではなかろうか。

でも、バプテスマを受けたことによって新しい生き方に生きるように始まっている。

(秀吉の話)1587年、社会的には女性は思想を持ってはいけない時代だった。しかし、この年、秀吉は「バテレン(宣教師)追放」を打ち出す。そして、その背景には1人のクリスチャンの女性の存在があったのではないかと言う。秀吉に、美しい女性を沢山与えようという案が出来たが、1人のクリスチャン女性はそれを拒否した。女性は「地の塩」の役割をやったのだが、あの秀吉の命令を拒否すると言う事は自分がどんな目に合ってもおかしくないという危険があったにもかかわらずだ。秀吉はキリシタン迫害へと邁進して行ったのは、その女性の事が1つにはあった。この女性は、信仰を貫いた。いつも神さまを思い続け秀吉を拒否した。

秀吉が「一向宗」(浄土真宗)より、キリストが怖いと言わしめた事だったようだ。

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【新改訳改訂第3版】
<Mat>
10:28 からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。

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ブログ村

昨日、現教会の牧師のブログでもやっている、「ブログ村」とは何ぞや?と、のぞいて見た。何か、こうゆうのは初めてだが、結構、私は「キリスト教」「病気」「音楽」を選んでいるが、私も参加してみようと思ったのは自分でも意外だった。

でも、単に根がミーハーなのでやってみようと思っただけかもしれない。(^-^; (いや、牧師のマネをした形かも・・・・・・)

期待は正直していなかったが、期待は裏切らなかった。(分かりづらいよね(^^;;; この表現)

結構、上位に「キリスト教」でのランクされている人のブログは、確かに面白いと言うか、「ああ、私と同じ事考えてる」とか、また意外な視点でクリスチャンとして世の中を見ている人とか、思ったより楽しい。学べる。o(*^▽^*)o

たとえば、私のミーハー根性から始めたとして、嫌なたとえだが私自身(基本的にTV見てないし嫌い)の発言や考えが、人にちゃんと伝わるか、否かとか。それが、数字になって表れるというのも面白いと思った。

まあ、分かりやすく思うには、そのTVの出演者の気にする「視聴率」だと思う。

私は意外に数字が好きなのである。(趣味)

。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚

これからは、「コメント」を受け付けるにしようかな・・・・・・と思っている。

ずーっと「コメント」を「受け付けない」にしていたのは、ちょっとやはりネット不信があるからです。

ネットで自分の思ったこと、感じたことを他人がどう思ったかまでは、私は正直、責任は負いかねる。

特に、負の重荷に潰されそうになっている人が居ても、その人を救うのは私の役割では無いと思っている。だって、ネットで解消される問題なら、もう、とっくに解決出来るはずだ。

解消されない人には、やはり、私がそうであったように、自分に合った良い教会へ行って下さいとしか言えない。

私が参加している「キリスト教」では、カトリックもプロテスタントも、リベラルもファンダメンタルもごちゃまぜだが、結局、本人の問題に戻るように、祈りに向かうようになると思う。

その人の立場や、考え方がネットではかなり分かりづらいと正直思う。そこら辺が、自分の「料理」の仕方なんですよねぇ~~~。゚.+:。(・ω・)b゚.+:。

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私は、現教会で(今年からです)全くのゼロからの出発と思っています。今日も聖日礼拝。私の健康状態と霊性が整えられて、また、恵まれた説教、賛美が出来ますよう。クリスチャンの皆さんも良き聖日をと願います。

実は、昔から「黙想」することに憧れていました。現教会では、よく「黙想」するので、自分には合っているし、そういう教会に導かれて感謝です。

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父は偉い

今まで、65年間で生きてきて、「あなたは、50歳までしか生きられない」と言われても、現在も生きている父。

昨日は、心臓の検査入院で見事に見つかった父の発作の原因。「冠攣縮性狭心症」

恐らく、聞きなれない病名だと思う。

何でも、心臓の血管が一部縮小して様々な症状が表れるという。これが、父の最近では、毎日だった発作の原因。

父は、今まで、4回の大きな内科の手術をしている。でも、父は一回も弱音を家族に話した事がない。少なくとも私の記憶にはない。

つい、そんな、辛い症状が出ると多少は周りの人に当たったりすると思うが、愚痴も言わず、ただ一人で家で座椅子に座って「うー」と唸っていて忍耐していた父だった。

凄い、精神力とも思う。でも、それを見ていられないので、私は、そうゆう時は、2階の自分の部屋で過ごす。

でも、その発作の原因がカテーテル検査で分かり、昨日は、病院へ行ったら父が本当に楽そうで、自分でも「こんなに目覚めの良い朝があるのか・・・・・・」と言っていた。

本当に良かったと思う。そこの心臓専門の病院を知ったのは、偶然(必然?)からだったと言う。凄いタイミングだったそうだ。

母は、歩きに行こうと予定を立てていたが、突然の大雨にあって、止めて、家に居たらしい。そして、私の義妹のお母様に、久しぶりに頂いた花が珍しくもって花を咲かせていると連絡しようと思って電話をした。

そうしたら、向こうのお母様から「ご主人はどう?」と聞かれて、母は父の発作を言って、「それなら、近い所に良い心臓専門の病院があるわよ」と言われて父を連れて行ったらしい。そして、昨日、心臓カテーテル検査で異常が見つかった。今日、無事退院の進みとなった。

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現代の医療は、もう、東洋医学とは違って、分野が決まっている。

外科なら外科の症状しか分からないし、精神科なら精神の事しか分からないそうだ。

恐らく、東洋医学は、身体をそうゆうように、部分として考えず、身体全体をトータルに考えて、まず、病気になりにくい体質を作っていくという感じなのだろう。

「気功」なんかは、特に、そうゆう感じがしますが。

本当は、私はどちらかと言うと、東洋医学的な考え方の方が、個人的には好きです。でも、今の私では選択の余地がないと言うので西洋医学の精神科に通っている。うちのDr.も「気功」とか東洋医学的な分野にも詳しいので安心ですが。

...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。

ああ、でも、昨日は、本当に安心した。食事もロクに摂れていなかった事も多く、凄く痩せてしまった。あの身体では、抵抗力も落ちるのも、かなりあると思う。

母と「父には、まだ、神さまは生きていて欲しいんだよ」と言っていた。

もう、父にストレスをかけるような、話題は控えようと。労わらないとね。父には趣味の囲碁とスポーツと政治と社会の話ししかしないと。

...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。

私の職は、まだ、書類選考の段階なので、結果待ちです。2週間かかることが、最近は、多いという。神さまがくれた時間なので、牧師の言う通りに祈って、御言葉開いて進もうと思ってます。

しかし、牧師が私より一つだけ歳が上の若い牧師だとは知らなくてビックリ!Σ( ̄ロ ̄lll)しました。奥様が私と同い年だとは聞いていましたが。凄い恵まれ方だなあ・・・・・・。あの説教からすると。

今日の朝のデボーションでの痛い一言「(前略)心の中を、つまらないものやくだらないもので満たしていては、ほんとうのすばらしいものを食べる気もしません。(後略)」

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面白い人~~~(笑)

朝から、かなたちゃんのHPにての、兄ちゃんの勝手ブログでの、私を含め3人のクリスチャンの会話で爆笑してしまった。母も兄ちゃんの勝手ブログにはいつも、感心したり、爆笑しているので、読んで聞かせたら爆笑してました。(^^;;;

今回の兄ちゃんの勝手ブログは、日本が誇る、むかーしの日本画家の素晴らしさのコピーが兄ちゃんの会社では出来たと言う話しの内容だった。

その答え方が、意外性もあって面白い。この3人、クリスチャン常連客。(爆)

そのURL http://otokan.hp.infoseek.co.jp/ のかなたちゃんのHPです。宣伝しておきます。ちなみに、このやり取りは「Diary かなたの徒然雑記」をクリックすると出てきます。

でも、肝心な「かなた」ちゃんは、今、体調崩しており、障害者年金も貰っている方なので、「かなたの徒然雑記」は、「かなた」の文章が無い分、もう、兄ちゃん前面フォローしてあげてます。兄ちゃんは昔からそういう人でした。(o^-^o)

兄ちゃんはプロのデザイナーさんです。もちろん、奥様もいらっしゃいます。奥様も難病を患いながらも、兄ちゃんと同じぐらいの精神力はありますね。素晴らしいですよ。リハビリは前進していこうという気持ちが無いと進まないものなのだそうです。

兄ちゃんとは、絵つながりでした。私が、イエス様の絵を描きだして兄ちゃんに見せていたら、とても良いと言ってくれました。

彼は、美術にももちろん造詣が深いのですが、世の中のあらゆることをよく知っておられます。てか、「よく食らいつくなあ~」と感心してしまいます。

オチのない「勝手ブログ」は作れないとの事でしたが、今回の「勝手ブログ」は、どどーん!と二段オチになっており、私は、それで、行動を起こしてました。

兄ちゃんね。結局は、うちの父の体調が落ち着いたら兄ちゃんの会社の多機能プリンタを購入することを検討します。

もう、ブラックのインクが漏れて漏れて、何だか身体についてしまうと、アザみたいになってなかなか落ちんのだ!決して、○○マークではない!(冗談(^^;;;

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かなたの掲示板に変な女が居たが、彼女、見て削除したかな?出来る状態にあると良いけれど。注意は、必要ですね。一時期は、躁鬱の躁状態のようにテンション高かったのになあ~。今は、自然に彼女が回復するのを待ってあげてください。

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人間的に見ると

私は、非常に優しく、人を気にする女性的な資質が強い父のもとで育ち、今は、一日中、共に(定年後なので)暮らしている。

今日、ジョブコーチとのお仕事のお話で気付いたが、(私はその人の立場や肩書きより人間として見てしまう傾向がある)ジョブコーチは、かなり、(今まで出会った男性の中でも)、男っぽい。(幼稚な私の感性のせいかもしれないが)

男性思考のプロの眼である。それで、問い詰められると、世の中的には、的を得た質問なので答えに詰まる。まあ、基本、男社会だしね。

ほとんど、まともに、考えたことのない仕事へのお話や自分の考えは、正直、頭の中ではまとまっていない。

ハッキリ言って、私ほど「手ごたえ」のない人間も居なかろうと・・・・・・思われます。心中は、お察ししますし、「こいつダメだなあ」と呆れられててもおかしくない。見捨てられてもおかしくない。それは、しょうがないとしか私には言えないし、それが、私の限界かもしれないし。

あのような、男性的思考の強い人は、私も正直、応答するのが少々何を言っていいのかとか「怖い」とまではいかなくても、そういうものに近い感情が湧くのは私にとっては自然な反応なのかなあ・・・・・・とも思ったりした。態度にもモロ表れてるし。(^^;;;

やはり、父の影響は強い。(父は今、心臓の専門病院で治療入院中)

男・男している人は、私は少々苦手なタイプの男性らしい。大変、戸惑う。それは、原因が私が女性って事もあるし、私の資質なども原因と思われますが、それは、個人的な事なので、問わないとして・・・・・・。

と、まあ、私の視点はちょっと普通の人とは、かなりかけ離れていると思われます。(^^;;;

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そもそも、ウチは母親の方が男っぽい。かなり、女性的な男性と、かなり男性的な女性で成り立っている家庭である。その中間が、私。

でも、そうなると母親は父親の役目もしなくては、いけなくなるので「たくましい」のは圧倒的に母親だ。

娘をかばうのも、怒るのも、誉めるのも、守るのも、しょうがなく母親の役割。今でも、そうなのである。ウチは「特殊」と言うのは母の口癖だ。恐らく、Dr.が「母親は、私を甘やかしている」と言うのは、そこら辺の事ではないかと推測する。

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はじめに戻ると・・・・・・。私は、社会でバリバリやっている強い男性より、教会で、自分の罪や弱さを知り、神様のメッセージで涙しておられる兄弟の方が、気持ち的にはよ~く分かります。理解出来ます。私に志も近い人(男性)だと思われます。

やはり、考え方は宗教の影響もかなりあると思いますよ。だって、一生かけての事ですからね。

神さまの選びまでは、分かりませんが、究極的にはやはり、私はイエス様のところに戻ってしまいますね。もう、クリスチャンはそういう人たちだと思っても良いと思います。「ご支配」にも「神さまの時」が備えられていると祈る時間は、今、必要かな・・・・・・。

果たして、「御心」であるのか無いのか。やっぱり、優先順位は神さまですねぇ~。これは、譲れないものです。信仰はそもそも「他人」と「私」の関係じゃなくて、「神さま」と「私」が第一の関係のためにあるものなので、この世で、理解されなくても私は良いと思っています。

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はー。(疲れた)でも、父の心臓の検査で、悪い所が見つかって良かったです。もう、毎日具合悪くしていたからね。これで、父はかなり楽になると思います。家に同じ部屋に居て、具合の悪い父を見ていると気の毒でしょうがなかったので。このまま、良い方へいってくれると祈ります。

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がばい

「先生」と言うと、私は本当に恵まれていた。小4の時にも、担任の男性の先生の実家で、10人ぐらいの男子女子で静岡(?だったか)まで、遊びに行ったことがある。私が、その小学校を転校する時に、その担任の男性の先生から「駅の反対から『○○先生~』って手を振っていたお前は可愛かったぞ」と素敵なミッキーの大きな星型の時計をくれた。私も「先生の結婚式には絶対行くからね!」と言っていた。

他にも印象に残る先生は何人か居ます。でも、特に、高校1年の時に、私のクラスの担当になった「のりさん」は、最も、影響された先生だった。ちなみに、「のりさん」は数学の先生。だから、当時は、英語と数学しか勉強してなかった。(^-^;

今回、取り上げるのは私が高校3年の時の強い印象的な事。

「のりさん」は、高校3年は、私の担任ではなく、学年主任をしていた。そのエピソードの一つ。

一人の男子生徒が校則違反でのバイク登校事故で亡くなった。私は、その男の子の事は直感で「あの子だ」と思ったら、確かに、彼の机の上には花がいけてあった。

「のりさん」はその学年の生徒達を体育館に全て集めて一喝した。

「お前らの友情とは、そんなものか!」と。

バイクで登校することに、どんなに、危険が伴うのかも想像していても分かるのに誰一人「止めろ」と言う事を本人に言わなかったのか。忠告しなかったのか!と。「のりさん」はそれが本当の友情だろう!と。

また、それ以上に怒っていたのは、あげくには学校の授業をサボって葬式に行く男子が多かったと言う事だった。そんな「形」だけの行動して、それが「亡くなった彼を思いやっている」「正しい」と思い込んでいるという事に「のりさん」は「お前らの友情はそんな程度のものか!」と一喝したのだった。本当の「正しい」ことが、まだ、そう声をあげる先生が居たことによって「正しさ」が通じる時代だった。

そんな「のりさん」だが、当時の何を思ったのか、「○○(私)は一人でも生きていけるのだ」と発言していたと聞いていて、私には分からない発言だった。どこが?「のりさん」?(笑)

「のりさん」との思い出は沢山ある。私が数学の勉強しかしていなかったのも愛情表現だったし、本当に良い先生だった。女子生徒(私も含め)数名を自宅に招き、奥さん(も高校の教師)の手巻き寿司を食べながら、「のりさん」は本当にリラックスしていて、私は嬉しかった。「女子のミニスカート(当時は長いのが普通だった)は、俺は嬉しいのだ」とかの思いっきり冗談から「この学校の体育会系の先生達の思考は分からんのだ」という私達に言って言っていいの?という発言まであった。

とっても、良い家庭の雰囲気で、帰りは私は自分の家庭でそうとう悩んでいた時期だったので、こんなに自分がコンプレックスを持っていたのだと気付いて泣いて帰った事を思い出す。

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他に、有難かった先生の話しもある。女性の英語の先生で、授業の最後には必ず洋楽を歌詞などのプリントと一緒に曲を流していた。

そして、高校2年の最後の英語の授業前に最後の洋楽の曲は生徒のリクエストにしようと先生は紙を配った。私がリクエストしたのは、BRUCE SPRINGSTEENの「THE RIVER」だった。

最後の授業では、こうゆうリクエストがありましたと読み上げて、私の「THE RIVER」はかからなかった。特に、何とも思わなかったけれど、授業が終わって一番前の席に座っていた私に先生が謝ってきた。「ごめんなさいね。曲の資料が見つからなくてかけられなかったの」と。(私はバリバリHR/HMを聴いていた頃でしたが)

それが、高校2年の終わりで、高校3年の半ばだったと思う。別の担任の先生に「○○(私)お前にプリントがきているぞ」と言われて読んでみた。

そうしたら、もう、すっかりこっちは忘れていたのに高校2年の時の最後の英語の授業で資料が無かったため「THE RIVER」がかけられなかったことが書いてあって、確か、内容は「この曲は知る人ぞ知る名曲。長い間、探していた資料が見つかってやっとかけられました・・・・・・云々」と言う内容だった。

そして、その英語の先生からメモで「かけられなくて、プリントだけでもと思いました」と書き添えてあった。何か、とっても嬉しくて、今の子供たちは、そういう楽しい学校のエピソードを持っているのだろうか?とか、マイナスの事ばかり聞くので、悲しい時代になったのか・・・・・・と思った。

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今日は画像のみで

私は、クリスチャンなりたての頃から愛読している故水野源三さんの詩と私のど素人の絵のコラボをお送りしたいと思ってます。

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と・・・・・・今日は、ここら辺で・・・・・・昼寝しようっと。(^・^)(pityは以前のHNです)

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